忠犬タマ公は新潟県五泉市で飼い主を雪崩から2度救ったことで有名な犬。
現在、タマ公の銅像は新潟県内に7基建てられており、その功績は語り継がれています。また、タマ公の物語は、地元五泉市の人々だけでなく、横須賀市など他の地域の人々にも語り継がれ、交流のきっかけとなっています。
忠犬タマ公wiki|銅像の場所は新潟駅と横須賀?
忠犬タマ公の銅像は、新潟県内を中心に、ゆかりの地である神奈川県横須賀市にも建立されています。その背景には、タマ公の英雄的な行動と、人々のタマ公に対する敬意と愛情があります。
新潟県内
- 1937年(昭和12年):当時の川内村立川内小学校校長の呼びかけで、羽下大化による銅像が川内小学校と新潟市の白山公園に建立されました。
- 白山公園の銅像は第二次世界大戦中に金属供出されましたが、1959年(昭和34年)に再建されました。
- 1982年(昭和57年):上越新幹線開通を記念して、新潟駅南口駅舎2階の新幹線コンコースに羽下大化の弟子の林昭三により銅像が建立されました。
- 1983年(昭和58年):五泉市にある村松公園にも林昭三により銅像が建立されました。
- 2003年(平成15年):五泉市内にあるありがとうの郷・タマ公苑に銅像が建立されました。
- 2021年(令和3年):五泉市内に新しくできたラポルテ五泉に愛宕小学校にあるものを複製する形で銅像が建立されました。
神奈川県横須賀市
- 1936年(昭和11年):新潟県出身の海軍関係者によって、衣笠山公園に高さ約2mの石碑が建立されました。
- 2017年(平成29年):五泉市から横須賀市に忠犬タマ公像が寄贈され、衣笠山公園に建立されました。
これらの銅像は、タマ公の飼い主を二度も雪崩から救った勇敢な行動を称え、後世に伝えるために建立されました。特に、戦時中に金属供出の危機にさらされながらも、地元の人々の尽力によって守られた銅像は、タマ公への深い愛情を示すものと言えるでしょう。
タマ公の銅像は、単なる犬の像ではなく、人と動物の絆、勇気、そして愛の象徴として、多くの人々に感動を与え続けています。
忠犬タマ公wiki|死因は?
忠犬タマ公の死因について、具体的な記述はありません。
「タマは1940(昭和15)年、11歳で亡くなりました。」とあり、当時の柴犬の平均寿命が15歳であったことから、まだ若い死であったことが示唆されています。
また、「大好きな刈田氏の元、静かに眠るように亡くなったそうです。」という記述からは、病死や老衰の可能性が考えられますが、断定はできません。
また、タマ公の享年について「タマ公の誕生日やきょうだいの数など、いろいろな説があって、研究の余地はたくさんあるので、11歳という年齢は書き替えられる日が来るかもしれません」と述べられており、正確な情報については更なる調査が必要であることが示唆されています。
具体的な死因は不明ですが、タマ公は飼い主である刈田氏と共に過ごした幸せな生涯の末、安らかに息を引き取ったと推測できます。
忠犬タマ公について
忠犬タマ公は、新潟県五泉市で猟師の刈田吉太郎に飼われていたメスの柴犬で、2度に渡り雪崩から飼い主を救ったことで有名です。 ここでは、そのエピソードについて詳しく説明します。
■1度目の雪崩
昭和9年(1934年)2月5日、刈田さんは猟仲間の小泉さんと共に、タマを連れてヤマドリ猟に出かけました。 雪深い山中で猟をしていたところ、銃声が雪崩を引き起こし、刈田さんと小泉さんは雪に埋もれてしまいました。
刈田さんは気を失っていましたが、タマが雪を掘る音で意識を取り戻しました。 タマは必死に雪を掘り続け、ついに刈田さんの頭の上まで掘り進めました。 しかし、刈田さんの頭には菅笠が被っており、硬い雪の塊も覆いかぶさっていたため、タマは小さな体で懸命に掘り続けました。 その結果、タマは両方の前脚を血だらけにしながらも、刈田さんを雪の中から救出することに成功しました。
残念ながら、小泉さんは助かりませんでした。 刈田さんと共に山を降りるタマの姿は悲しそうだったと伝えられています。 このエピソードは新聞で報道され、タマは「主人の命を救った忠犬」として賞賛されました。
■2度目の雪崩
それから約2年後の昭和11年(1936年)1月10日、刈田さんは近所の人たち3人と共に、タマを連れてムジナ狩りに出かけました。 雪山を分け入っていく途中、刈田さんは危険を感じ、仲間たちに「頂上の林まで上がれ!」と叫びました。 しかし、その直後、雪崩が発生し、刈田さんと仲間たち、そしてタマは雪に押し流されてしまいました。
雪崩に流されながらも、タマは刈田さんを助けようと雪の上を探し回りました。 刈田さんは雪に埋もれて意識が朦朧としていましたが、「ウーッ、ワンワンワン!」というタマの鳴き声で意識を取り戻しました。 タマは再び必死に雪を掘り、刈田さんは2度目の雪崩から奇跡的に生還することができました。
このエピソードも広く報道され、タマは「二度目の殊勲」を称えられました。 アメリカ政府からも忠犬として表彰され、タマの名は世界に知れ渡りました。
忠犬タマ公|山岳救助犬について
山岳救助犬は、その名の通り、山岳地帯で遭難した人々を捜索・救助する仕事をする犬です。主に、急な天候変化や滑落、雪崩などで遭難した人を、優れた嗅覚と訓練された能力で探し出す役割を担います。
山岳救助犬の歴史は古く、17世紀頃にスイスのアルプスで始まったとされています。アルプスでは雪崩による遭難事故が多発しており、人命救助のために犬が活用されるようになりました。
■山岳救助犬の活躍
- 行方不明者の追及: 山岳救助犬は、人間の8倍程の速さで遭難者を見つけ出すことができると言われています。
- 生存率向上: かつては2頭1組で行動し、1頭が遭難者を見つけると、大きな体と樽に入れたお酒で遭難者の体を温め、もう1頭が助けを呼びに行くという方法がとられていました。
■有名な山岳救助犬「バリー」
セントバーナードという犬種の「バリー」は、1800年から1814年までの生涯で40人以上の人命を救ったとされる、最も有名な山岳救助犬です。バリーの功績は、多くの書籍や映画で紹介されています。
■山岳救助犬の現状
日本では、山岳救助犬として専任で活動している犬は少なく、ほとんどが地震救助犬や水難救助犬を含めた「災害救助犬」として活動しています。災害救助犬になるには、厳しい試験に合格する必要があります。
まとめ:忠犬タマ公wiki|死因は?銅像の場所は新潟駅と横須賀?
タマ公の飼い主を二度も雪崩から救った勇敢な行動は、多くの人々に感動を与えました。 タマ公の功績を称え、新潟県内には7基、ゆかりの地である神奈川県横須賀市には1基の銅像が建立されています。
特に、戦時中に金属供出の対象となりながらも、地元の人々の尽力によって守られた銅像は、タマ公に対する深い愛情を示すものと言えるでしょう。
忠犬タマ公の物語は、人と動物の絆、勇気、そして愛の象徴として、今日まで語り継がれています。