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刀伊の入寇|紫式部(大河ドラマ光る君へ46回)は史実?源氏物語で大宰府は?

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紫式部が主人公のNHK大河ドラマ「光る君へ」の第46回「刀伊の入寇」について。

平安時代の「刀伊の入寇」事件に紫式部(まひろ、吉高由里子)が巻き込まれることになりましたが、史実なんでしょうか?

紫式部の源氏物語に大宰府は登場するものの、紫式部は実際に大宰府を訪れた?

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刀伊の入寇|紫式部(大河ドラマ光る君へ46回)は史実?源氏物語で大宰府は?

「刀伊の入寇」は、寛仁3年(1019年)に女真族とみられる海賊集団が対馬、壱岐、そして北九州を襲撃した事件です。

一次史料によると、紫式部自身はこの事件に直接関わっていません

しかし、NHK大河ドラマ「光る君へ」では、脚色として紫式部(まひろ)が刀伊の入寇の際に大宰府に滞在し、事件に巻き込まれる様子が描かれています。

ドラマでは、紫式部は大宰府でかつて愛した男性・周明と再会し、刀伊の入寇の混乱の中で周明が亡くなるという展開になっています。これは史実とは異なる創作であり、実際の紫式部の晩年の様子はよくわかっていません

「光る君へ」では、刀伊の入寇の描写を通して、それまでの貴族中心の政治体制から、武士が台頭していく時代の転換点を描こうとしていると考えられます。

「刀伊の入寇」が紫式部の文学作品に影響を与えたという直接的な証拠はありません。しかし、当時の社会不安や戦乱の影は、貴族社会を描いた「源氏物語」にも間接的に反映されている可能性はあります。

「源氏物語」には大宰府の役人と縁のある人物が複数登場することから、紫式部は大宰府という土地に関心を持っていたと考えられます

刀伊の入寇について

刀伊の入寇は、寛仁3年(1019年)3月末から4月にかけて、女真族の一派とみられる集団を主体とした海賊が、対馬・壱岐を襲い、さらに九州に侵攻した事件です。刀伊とは、高麗語で高麗以東の夷狄(いてき)である東夷(とうい)を指す言葉の音を日本語に当てはめたものです。

背景

9世紀から11世紀にかけて、日本は新羅や高麗などの外国の海賊による襲撃略奪を数十回受けており、特に九州沿岸が被害を受けていました。997年には南蛮の海賊による大規模な襲撃事件も発生しています。

刀伊の入寇の主体は女真であったと考えられています。女真は、12世紀に金を、17世紀には清を建国する民族です。

10世紀から11世紀にかけての北東アジアでは、契丹の進出により、女真が利用していた交易ルートが閉鎖され、生活が困窮した女真の一部が海賊化したという背景があります。

襲撃の経過

刀伊の海賊は約3,000人、50隻余りの船団を組んで襲来しました。

  • 3月28日: 対馬を襲撃。36人が殺害され、346人が拉致された。
  • 同日: 壱岐を襲撃。壱岐守藤原理忠は147人の兵を率いて抵抗するも、敗北し殺害される。壱岐嶋分寺も襲撃され、抵抗するも陥落、全焼。島民148名が虐殺され、239人が拉致された。
  • 4月7日: 筑前国怡土郡に上陸し、怡土郡は殺害49人、拉致216人、馬牛33頭の被害を受ける。
  • 同日: 志摩郡と早良郡にも上陸し、それぞれ殺害112人と19人、拉致435人と44人、馬牛74頭の被害が出る。
  • 4月8日: 筑前国那賀郡能古島に来襲。
  • 4月9日: 博多に来襲し、警固所を攻撃するも、大宰権帥藤原隆家と大宰大監大蔵種材らによって撃退される。筥崎宮を焼こうとするも、大宰府兵に撃退される。
  • 4月10-11日: 北風が強く刀伊は上陸できなかったため、大宰府は兵船38艘を建造し迎撃準備を整える。
  • 4月11日: 筑前国志摩郡船越津に現れるも、大宰府の精兵に阻まれる。
  • 4月12日: 船越津に上陸し、大宰府軍と交戦。刀伊は40人以上が死亡、2人が捕虜となる。
  • 4月13日: 肥前国松浦郡に来襲、略奪を行うも前肥前介源知に撃退され、朝鮮半島へ撤退。

日本側の対応

対馬守遠晴は対馬から脱出し、大宰府に報告。壱岐島分寺講師常覚も壱岐から脱出し、大宰府に報告。

大宰府は朝廷に報告を行い、大宰権帥藤原隆家は指揮を執り、現地の武士たちを動員して刀伊の撃退にあたった。

戦闘の経過は藤原実資の日記『小右記』に詳しく記録されています

結果と影響

刀伊の入寇による被害は、殺害364名、拉致1280名、牛馬355頭と甚大なものでした。

この事件は、それまで外国からの脅威をあまり意識していなかった日本に大きな衝撃を与え、国防の重要性を認識させるきっかけとなりました

また、刀伊の入寇の際に活躍した九州の武士たちが、後の武士の台頭のきっかけを作ったという見方もあります。

大宰府と紫式部の関り|大河ドラマ光る君へ46回

一次史料において、紫式部が大宰府に赴いたという記録はありません。 彼女の夫である藤原宣孝は大宰府で勤務していましたが、それは紫式部と出会う前のことで、宣孝には他に妻がいました。

紫式部の代表作である「源氏物語」には、大宰府の役人と縁のある人物が複数登場します。 例えば、「夕顔」巻に登場する大弐の乳母は、夫または父が大宰大弐であったと考えられています。 また、「花散里」巻から「澪標」巻、「少女」巻、「幻」巻に登場する筑紫の五節は、大宰大弐の娘です。

これらのことから、紫式部は大宰府という土地やそこに住む人々についてある程度の知識を持っていたと考えられます。

大河ドラマ「光る君へ」では、紫式部が刀伊の入寇の際に大宰府を訪れているという設定になっています。 これは史実とは異なる創作ですが、ドラマを通して、当時の大宰府が置かれていた状況や、刀伊の入寇という歴史的事件を、視聴者にわかりやすく伝えるという意図があると考えられます。

「光る君へ」では、紫式部は大宰府でかつて愛した男性・周明と再会します。 そして、刀伊の入寇の混乱の中で周明が亡くなるという展開になっています。 これは史実とは異なる創作であり、実際の紫式部の晩年の様子はよくわかっていません。

「光る君へ」の脚本家は大宰府を舞台に選んだ理由として、刀伊の入寇を描きたかったからと述べています。 刀伊の入寇は、それまでの貴族中心の政治体制から、武士が台頭していく時代の転換点となった重要な事件です。 ドラマでは、刀伊の入寇の描写を通して、時代の変化を描こうとしていると考えられます。

しかし、「刀伊の入寇」が紫式部の文学作品に影響を与えたという直接的な証拠はありません。

刀伊の入寇|紫式部(大河ドラマ光る君へ46回)の感想・口コミ

NHK大河ドラマ「光る君へ」第46回「刀伊の入寇」感想まとめ

第46回は、史実における寛仁3年(1019年)に起こった「刀伊の入寇」と、まひろ(紫式部)と周明の再会が描かれました。

  • まひろは、夫・藤原宣孝がかつて勤務していた大宰府に旅立ちます。 これは史実にはない設定ですが、ドラマでは刀伊の入寇を描くため、まひろを大宰府に移動させたと考えられます。
  • 大宰府では、まひろはかつて越前で愛した男性・周明と再会します。周明は、失踪の真実をまひろに打ち明け、その後まひろを通訳として大宰府政庁に案内します。
  • 政庁では、まひろは稽古中の武者の中に、かつて自分の家に仕えていた双寿丸の姿を見つけます。
  • 大宰権帥の隆家は、まひろに対して道長からの指示があったことを告げますが、その内容については明らかにされませんでした。
  • 刀伊の入寇が勃発し、隆家は出陣の命令を下します。
  • 周明はまひろに「話したいことがある」と告げますが、まひろは「私はもう終わってしまったの」と返答します。
  • 混乱の中、まひろは周明と手を繋ぎますが、その直後、周明は流れ矢に胸を射抜かれ、命を落としてしまいます。

今回のエピソードでは、まひろと周明の再会と悲劇的な別れ、そして刀伊の入寇という歴史的事件が描かれ、大きな転換期を迎えたことが印象的でした。

視聴者の感想としては

  • 周明の突然の死に衝撃を受けたという声が多く見られました。
  • 隆家の勇敢な姿に感動したという意見もありました。
  • 刀伊の入寇がドラマで描かれたことで、歴史への関心が高まったという声もありました。

その他

  • 一部の視聴者からは、ドラマの展開が急すぎるという意見や、史実と異なる部分が多いという指摘もありました。
  • しかし、全体的には、歴史とフィクションを巧みに融合させた、見応えのある作品という評価を得ているようです。

考察

  • 周明の死は、まひろにとって大きな転機となる出来事であり、今後の彼女の生き方に大きな影響を与えることが予想されます。
  • 刀伊の入寇は、それまでの貴族中心の政治体制から、武士が台頭していく時代の転換点となる出来事であり、ドラマでは、この事件を通して、時代の変化を描こうとしていると考えられます。
  • 隆家の活躍は、武士の時代の到来を予感させるものがあり、今後の物語の展開に期待が高まります。

史実との相違点

  • 紫式部が大宰府を訪れたという史実上の記録はありません
  • 刀伊の入寇が紫式部の文学作品に影響を与えたという直接的な証拠もありません。

しかし、ドラマは史実を基にしながらも、フィクションを交えることで、登場人物の心情や時代背景をより深く描き出しているといえるでしょう。

まとめ:刀伊の入寇|紫式部(大河ドラマ光る君へ46回)は史実?源氏物語で大宰府は?

大河ドラマ「光る君へ」では、紫式部が刀伊の入寇の際に大宰府に滞在し、事件に巻き込まれる様子が描かれています。

これは史実とは異なる創作ですが、ドラマを通して、当時の大宰府が置かれていた状況や、刀伊の入寇という歴史的事件を、視聴者にわかりやすく伝えるという意図があると考えられます。

ドラマでは、藤原隆家が刀伊の撃退において重要な役割を果たし、その活躍を通して、時代の変化、貴族社会から武士の時代への移り変わりを描こうとしていると考えられています。

しかし、「刀伊の入寇」が紫式部の文学作品に影響を与えたという直接的な証拠はありません

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