ステファン・マンデルは宝くじを14回当選させた、ルーマニア出身の数学者
独自のアルゴリズムで宝くじの当選を繰り返し、世界を驚かせた数学者ステファン・マンデルがアンビリバボーでも紹介されました。
マンデル(数学者)|でアンビリバボー!必勝法・方程式は?
ステファン・マンデルが宝くじで14回もの当選を達成できた背景には、数学的知識と綿密な計画に基づいた、「宝くじの全通り購入」という驚くべき戦略がありました。
しかし、単純に全ての組み合わせを購入するだけでは莫大な費用がかかり、現実的ではありません。そこでマンデルは、以下の手順でこの戦略を実行に移しました。
- 組み合わせ数の計算: まず、対象となる宝くじの当選に必要な数字の組み合わせ数を正確に計算します。例えば、1から44までの数字から6つを選ぶ宝くじの場合、約700万通りの組み合わせが存在します。
- 当選金の確認: 次に、宝くじの当選金が、全通りの組み合わせを購入する費用を上回っていることを確認します。マンデルは、当選金が購入費用の3倍以上になるまで辛抱強く待ちました。これは、1等当選者が出なかった場合に当選金が次回に繰り越される「キャリーオーバー」制度を利用したものでした。
- 資金調達: 全通りの宝くじを購入するには莫大な資金が必要となるため、マンデルは数百人もの投資家を集め、共同購入組織を結成しました。
- チケット印刷: 当初、マンデルは手作業で全ての組み合わせの宝くじを購入していましたが、後にコンピューターとプリンターを用いた自動印刷システムを開発しました。このシステムにより、数百万枚のチケットを効率的に印刷することが可能になりました。
- 宝くじ購入: 最後に、印刷した宝くじを宝くじ販売店に持ち込み、購入します。マンデルは、バージニア州の宝くじのように、購入枚数に制限のない宝くじを標的にしていました。
マンデルはこの手法を用いて、オーストラリアやイギリス、そしてアメリカで宝くじに当選し続けました。しかし、彼の成功は宝くじ運営側の警戒を招き、全通り購入を禁止する法律が制定されるきっかけとなりました。
マンデルの必勝法は、数学的確率に基づいた論理的な戦略であり、不正行為ではありませんでした。
しかし、その大胆さと緻密な計画性により、彼は宝くじの歴史に名を残す存在となりました。
マンデル(宝くじ14回当選)の生い立ち
ステファン・マンデルは、共産主義体制下のルーマニアで生まれ育ちました。
当時のルーマニアは経済的に困窮しており、マンデル自身も月収わずか88ドルという苦しい生活を送っていました。
彼は妻と二人の子供を養う必要がありましたが、国から支給される給与では到底生活できる額ではありませんでした。
貧困から脱出したいという強い思いから、マンデルは宝くじに目をつけ、数学書を読みあさるようになります。
そして10年以上にわたる数学研究の末、独自の宝くじ当選手法である「ナンバー・ピッキング・アルゴリズム」を開発しました。
まとめ:マンデル(数学者)|宝くじ14回当選でアンビリバボー!
マンデルの開発したアルゴリズムは、ランダムに選ばれる6つの数字のうち5つを正確に予測できるとされていました。
彼はこのアルゴリズムを友人たちに説明し、宝くじ購入資金を集めました。
そして実際に宝くじを購入し、19万3000ドルという高額当選を果たします。
この当選金で彼は、資金を出資してくれた友人たちに分配金を支払い、役人に賄賂を渡してルーマニアからの脱出に成功しました。
その後、ヨーロッパ各地を転々としたマンデルは、最終的にオーストラリアに移住します。
オーストラリアで彼は、宝くじを全通り購入するという、より大胆な当選方法を思いつきます。
しかし、オーストラリア当局はマンデルの行動に警戒し、宝くじの購入枚数を制限するなどの規制を強化しました。
ステファン・マンデルの生い立ちは、
- 共産主義体制下のルーマニアで貧しい生活を送っていた。
- 家族を養うために、宝くじ当選を目指して数学を研究した。
- 独自のアルゴリズムを開発し、ルーマニアで宝くじに高額当選した。
- 当選金を使ってルーマニアを脱出し、オーストラリアに移住した。
- オーストラリアでも宝くじに挑戦し続けたが、当局の規制強化により活動が制限された。
これらの経験が、後のマンデルの宝くじ攻略法の開発に繋がっていくことになります。