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三和銀行オンライン詐欺事件wiki|犯人の伊藤素子と南敏之のその後・現在は?

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三和銀行オンライン詐欺事件は1981年、行員が愛人のためにオンラインシステムを悪用し1億8000万円を横領した、日本初の銀行オンライン詐欺事件。

「好きな人のためにやりました」の言葉が流行語になった、美人行員の巨額横領事件の犯人の現在・その後は?

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三和銀行オンライン詐欺事件とは?

1981年3月25日に発生した三和銀行オンライン詐欺事件は、女性行員・伊藤素子による1億8000万円の巨額横領事件です。 当時は銀行のオンラインシステムが普及し始めたばかりの時代で、システムの脆弱性とセキュリティ意識の低さが事件の背景にありました。

事件の経緯

  • 伊藤素子は、当時勤務していた三和銀行茨木支店のオンライン端末を操作し、事前に用意した架空口座に1億8000万円を不正送金しました。
  • 彼女は歯痛を理由に早退し、大阪と東京の支店を回り、現金5000万円と小切手8000万円を引き出しました。
  • 伊藤素子は横領した金の全額を恋人である南敏之に渡しました。 南敏之は彼女にフィリピンへの逃亡を指示し、「必ず後から行く」と約束しました。
  • 伊藤素子は南敏之を信じ、フィリピン・マニラに逃亡しましたが、彼は日本に残り、家族と豪遊していました。
  • 約5ヶ月後、事件が発覚し、伊藤素子は国際指名手配されました。 マニラで身柄を拘束され、日本への移送中に逮捕されました。 南敏之も同日に逮捕されました。

事件の動機

  • 伊藤素子は、南敏之に騙され、多額の借金を背負わされていました。
  • 南敏之は、イケメンで羽振りが良いように見せかけていましたが、実際には多額の借金を抱えていました。
  • 伊藤素子は、南敏之を愛しており、彼を救いたい一心で犯行に及んだとされています。

裁判とその後

  • 1982年、伊藤素子には懲役2年6ヶ月、南敏之には懲役5年の実刑判決が言い渡されました。
  • 伊藤素子は模範囚として服役し、2年後に仮釈放されました。 1990年には事件のことを承知している一般男性と結婚しました。
  • 南敏之の出所後の消息は不明です。

事件の影響

  • この事件は、銀行のオンラインシステムの脆弱性を露呈させ、セキュリティ対策の強化を促しました。
  • また、1987年には、電子計算機使用詐欺罪が新設されるきっかけとなりました。
  • この事件は、後に多くの小説、映画、ドラマの題材となりました。

三和銀行オンライン詐欺事件wiki|犯人の伊藤素子のその後・現在は?生い立ちは?

伊藤素子は、1948年11月18日生まれ、京都府出身です。父親は高校教師、母親は華道の先生という、比較的裕福な家庭環境で育ちました。兄が1人、姉が3人おり、5人兄弟の末っ子でした。

幼少期から大人しく、読書を好む内向的な性格だったと言われており、知らない人と話す際には緊張で体が震えるほどだったそうです。

高校は京都市の明徳商業高校(現・京都明徳高校)を卒業後、1967年に三和銀行茨木支店に就職しました。

美人でスタイルも良かったため、多くの縁談がありましたが、かなりの面食いだった伊藤素子は、なかなか結婚には至りませんでした。

20歳の時に銀行に出入りしていた関係会社のイケメン社員と不倫関係になり、12年間も交際が続きました。その間、2度の中絶を経験するなど、辛い経験もしました。

その後、南敏之という、長身でハンサム、実業家という肩書きを持つ男性と出会い、不倫関係になります。しかし南敏之は実際には多額の借金を抱えており、伊藤素子に金の無心を繰り返すようになります。

伊藤素子は南敏之を深く愛しており、彼を救いたい一心から、三和銀行のオンラインシステムを悪用し、1億8000万円を横領するという事件を起こしてしまいます。

逮捕後は「好きな人のためにやりました」という言葉を残し、世間を騒がせました。

懲役2年6ヶ月の実刑判決を受け服役しますが、模範囚だったため2年後に仮釈放されています。

出所後は大阪の書店に就職し、その後、1990年に事件のことを承知している一般男性と結婚しました。

結婚後は滋賀県の琵琶湖畔のマンションで夫と暮らしているという情報もありますが、確かなことはわかっていません。

現在もメディアの取材を拒否しており、静かに暮らしていると考えられています。

三和銀行オンライン詐欺事件wiki|南敏之のその後・現在は?生い立ちは?

南敏之は1945年生まれで、事件当時は35歳でした。身長は180cm近く、長身でハンサムな容姿だったと言われています。

学歴は立正大学を卒業。卒業後は東急観光株式会社に入社し、営業や海外添乗員として勤務していました。

1972年、27歳の時に寺院の娘と結婚。その後、妻の実家が所有する管理事務所の専務取締役に就任します。

1975年には、友人の依頼でフィリピンのマニラにある旅行案内業も引き継ぎますが、多額の負債を抱えていたことが後に判明します。

南敏之は、経営難を解消するため、取引先の三和銀行茨木支店に出入りするようになります。そこで、預金係の伊藤素子と出会い、親密な関係になっていきます。

南敏之は、伊藤素子に事業の成功を語り、将来を期待させて信用させました。しかし実際には、事業の失敗や道楽が原因で、1億円近い借金を抱えていました。

南敏之は、伊藤素子に金の無心を繰り返し、最終的には銀行から金を横領するように唆しました。

事件後、南敏之は逮捕され、懲役5年の実刑判決を受けました。

南敏之の顔写真は公開されておらず、現在の様子を知ることはできません。

まとめ:三和銀行オンライン詐欺事件wiki|犯人の伊藤素子と南敏之のその後・現在は?

伊藤素子の現在の消息は不明ですが、メディアの取材によると、滋賀県で夫と静かに暮らしている可能性があります。

事件の教訓

この事件は、愛する人のために罪を犯してしまう人間の弱さと、巧妙な詐欺師の危険性を浮き彫りにしています。また、情報化社会におけるセキュリティ対策の重要性を改めて認識させてくれます。

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