スタジオジブリの映画『紅の豚』の主人公ポルコ・ロッソ(マルコ)がなぜ豚の姿になったのかという背景や、物語の終盤で彼の顔が人間の顔に戻ったように見える描写の解釈について。
宮崎駿監督自身がその曖昧な結末についてどのように語っているかなどが解説しています。
紅の豚ネタバレ考察|ポルコ(マルコ)なぜ豚になた?キスで最後に人間に戻った?
ああ、これはまた!「紅の豚」について検索してたどり着いてくれたんですねありがとうございます!
いやぁ、この映画、本当に良いですよね
なんていうか、僕みたいな30代前半の男にとっては、もう特別中の特別というか
子供の頃に観た時とは全然違う、深?い味わいがあるんですよね
今回は、「紅の豚」にグッと心を掴まれた僕が、この作品の魅力をたっぷり深掘りして、皆さんにどうしても伝えたくて、筆……いや、キーボードを執りました!
あらすじから、主人公ポルコ・ロッソの謎、そして、あの唯一無二の声を担当された森山周一郎さんのことまで、口コミの情報も借りつつ、僕なりの思いも込めて、徹底的に語り尽くそうと思います
この記事が、皆さんが「紅の豚」をもっと好きになる、あるいは、もう一度観てみたくなるきっかけになったら、本当に嬉しいです!
さあ、アドリア海の青い空へ、一緒に飛び立ちましょう!
紅の豚ネタバレ|あらすじ
■あらすじ青い海、赤い飛行艇、そして、時代に抗う一匹の豚
さて、「紅の豚」の物語は、第一次世界大戦と第二次世界大戦の間にあたる、1929年頃のイタリア、アドリア海が舞台です
口コミにもあるように、この時代はイタリア王国が第一次世界大戦の戦勝国ではあったものの、国民からは「栄光なき勝利」と呼ばれるほど経済が不安定で、世界恐慌の足音も迫り、国民生活が破綻寸前という、なんとも荒廃と混沌とした空気に包まれていました
さらに、物語が始まる少し前の1922年には、ムッソリーニ率いるファシスト党が政権を握り、イタリアは独裁体制下にありました
そんな不安定な世の中を背景に、物語は始まります
主人公は、深紅の飛行艇「サボイアS.21」を操る一匹の豚、ポルコ・ロッソ
彼はかつて人間で、イタリア空軍のエースパイロットだったそうですが、今はアドリア海の小さな無人島に隠れ住んで、空賊(空中海賊)を相手に賞金稼ぎとして生計を立てています
彼は、空賊を相手にする時も、「戦争ではないから殺しはしない」というポリシーを持っていて、相手の機体だけを破壊して降参させる、なんとも粋なやり方で仕事をこなしています
その姿は、多くの人から羨望と、そして嫉妬の眼差しで見られています
ポルコの昔馴染みには、美しい歌声を持つマダム・ジーナがいます
彼女はホテル・アドリアーノを経営していて、そのホテルがある島の周り半径50kmは、空賊でさえ手を出さない事実上の中立地帯になっているんです
物語は、ポルコがマンマユート団という空賊に襲われていた女学校の生徒たちを助けるところから始まります
その夜、ジーナのホテルを訪れたポルコは、そこでドナルド・カーチスというアメリカ人の飛行艇乗りと出会います
カーチスは、空賊連合がポルコに対抗するために雇った用心棒で、パイロットとしての腕はポルコも認めるほど優秀な男です
カーチスは、自分の栄光のため、そしてジーナを手に入れるため、ポルコを倒そうと目論みます
ある日、ポルコは調子の悪かった飛行艇のエンジンを修理するために、ミラノへ向かいます
その途中、カーチスに奇襲され、エンジントラブルもあってポルコは撃墜されてしまいます
かろうじて一命を取り留めたポルコは、大破した愛機を抱えて、馴染みの飛行艇製造会社「ピッコロ社」へ修理を依頼します
そこで彼を待っていたのは、社長であるピッコロのおやじの孫娘、17歳の少女フィオでした
ピッコロ社の男手が不足していたため、フィオがポルコの飛行艇の設計・修理を担当することになるのですが、最初は若い女性に任せることに不安を感じていたポルコも、フィオの熱意と確かな腕を認めて、彼女にすべてを託します
フィオはピッコロのおやじをはじめ、親戚中の女性たちの協力を得て、ポルコの飛行艇を見事に蘇らせます
一方、ファシスト政権に非協力的なポルコは、ミラノでも秘密警察や空軍に追われていました
かつての戦友フェラーリンは、空軍に戻ることを勧めますが、ポルコにその気はありません
修理が完了した飛行艇でミラノを離れようとするポルコに、フィオは「自分の仕事に最後まで責任を持ちたい」と同行を懇願し、ポルコもそれを受け入れ、二人は追っ手を振り切ってアドリア海の隠れ家へ戻ります
しかし、隠れ家には空賊連合が待ち伏せていました
絶体絶命のピンチですが、フィオは持ち前の度胸で空賊たちを黙らせ、さらに、彼女に一目惚れしたカーチスとの再戦を取り付けます
その条件は、カーチスが勝てばフィオと結婚し、ポルコが勝てば飛行艇の修理代全額をカーチスが負担するというもの
こうして、大勢が見守る中、ポルコとカーチスの最後の決闘が始まります
ドッグファイトから、ついには素手での殴り合いにもつれ込む二人
決着がつかない中、ジーナがイタリア空軍が迫っていることを知らせに駆けつけます
その警告を受けて、なんとか立ち上がったポルコが勝者となります
空軍から逃れるため、ポルコはフィオをジーナに託し、自らはカーチスと共に空軍の囮となろうとします
別れ際、フィオはポルコにキスをし、そのキスを受けたポルコの顔を見たカーチスは驚きを隠せません
物語は、その後のフィオやカーチス、空賊たちの様子が語られながら幕を閉じます
実はこの映画、元々は日本航空の機内上映用として企画されたものだったんです
それが、制作を進めるうちに湾岸戦争の影響もあって、当初の能天気な航空活劇からストーリーが変化し、長編化して劇場公開されることになったという経緯があります
宮崎監督自身は、この作品を「疲れて脳細胞が豆腐になった中年男のためのマンガ映画」と銘打っていて、これまでの「子供向け」という枠を超えた、同世代に向けた作品にしたかったようです
でも、同時に、一貫して子供のためにアニメを作ってきた宮崎監督にとっては、これで良かったのかと悩み続ける作品でもあった、と口コミには書かれています
それでも、イタリア人すら忘れてしまった航空機を復活させたり、存在しない空軍を出せたりしたことは、道楽としては楽しかった、とも語っていますね
このあらすじだけでも、ただの豚の物語ではない、複雑で魅力的な世界観が伝わってきたんじゃないでしょうか
紅の豚ネタバレ考察|ポルコ(マルコ)なぜ豚になた?
■なぜ豚になったのかそれは、人間の愚かさへの絶望だったのかもしれない
ポルコ・ロッソがなぜ豚の姿になってしまったのか
これは、「紅の豚」を観た多くの人が抱く、一番大きな謎ですよね
口コミを色々と読み解いていくと、その理由にはいくつかの側面があることが分かります
まず、一番シンプルに描かれているのは、ポルコ自身が自分に魔法をかけた、という設定です
宮崎監督自身も、その詳しい方法については明確に述べていないそうです
でも、ただの魔法というよりも、それはポルコの「心のあり方」の象徴であり、「人間性を捨てた姿」だ、という見方が有力です
ポルコは、人間だった頃はイタリア空軍のエースパイロット、本名をマルコ・パゴットと言いました
第一次世界大戦を経験し、戦場で仲間を含め、多くの兵士が殺し合うのを目の当たりにしました
その経験から、「もう人を殺したくない」と感じるようになります
ところが、当時のイタリアは独裁政権下で、兵役拒否は認められませんでした
エースであったポルコは、簡単に捨て置かれる存在ではなく、もし兵役を拒否すれば、反逆者とみなされる覚悟が必要だったのです
そんな状況で、彼は考えます
もし「イタリア国民」なら、国家や法律に忠実でなければならない
でも、「イタリアに居る豚」なら、法律に従う必要もないし、兵役も関係ないのではないか?
そう、「豚肉にも法律もねえよ」というポルコのセリフや、戦友フェラーリンの「やつらは豚を裁判に掛ける気はない(つまり人道的に扱わず殺す)」という言葉からも、その切実な思いが伝わってきます
つまり、人間社会のルールや、人殺しを強いる国家から逃れるために、彼は自ら「豚」という存在になることを選んだ、と解釈できるんです
また、豚は社会のルール、つまり人間のルールに従わない怠惰者や、ろくでなしのメタファーだという見方もあります
ポルコは、人間から命令を受けて、人間によって操られ、人殺しの兵器として飛行機に乗ることが嫌になってしまったのかもしれません
だから、人間社会と別れを告げ、賞金稼ぎとして自分の力だけで自由に空を飛ぶ、豚の人生を選んだ、と考えることができるんです
彼が豚になったのは、フィオに語った空で起こった不思議な体験、つまり第一次世界大戦の空戦で、仲間のほとんどを失い、親友でありジーナの夫だったベルリーニも戦死し、自分だけが生き残ってしまった、あの出来事のすぐ後であると考えられています
ジーナは、ポルコが豚になった動機について、「戦争で自分だけ生き残ったことへの罪悪感」だという見方を見出しています
自分だけが生きてしまったこと、そして、多くの戦友を助けられなかったことへの深い悲しみや罪悪感から、自らに呪いをかけて豚になった、という解釈もされています
豚の姿は、人間が怒りすぎると般若のような形相になるのと似ていて、戦争によって心も体も深く傷ついてしまったことの象徴だ、という考察もあります
「ファシストになるよりは豚になったほうがいい」というポルコ自身のセリフを引用して、戦争と殺戮を繰り返す人間への嫌気と、そんな人間の一員であった自分自身への「仕置き」として豚になったのかもしれない、という解釈も示されています
気ままに生きているように見えながらも、実は人間から切り離し、自分を縛り付けているのかもしれない
このように、ポルコが豚になった理由は一つではなく、戦争の悲惨さ、人間社会への失望、国家への反抗、仲間への罪悪感、そして自分自身への罰など、様々な要因が複雑に絡み合っていることが口コミから読み取れます
宮崎監督が詳しい方法を語らないのは、単なる魔法や物理的な変化としてではなく、ポルコの心の中で起きた、深く重い「変化」として描きたかったからなのかもしれませんね
彼が豚になったのは、単なるファンタジー要素ではなく、彼の生き様そのもの、そして、時代や社会に対する彼の「思想そのもの」が形になったものだと考えると、より一層この作品が深く感じられます
まさに、「人間であることに嫌気がさした男が、自分を豚として生きることを選んだ」物語なんですね
紅の豚ネタバレ考察|ポルコ(マルコ)最後にキスで人間に戻った理由は?
■最後に人間に戻ったのか?その答えは、あなたの心の中に
物語のクライマックス、カーチスとの殴り合いの後、フィオがポルコにキスをするシーンがありますよね
あの時、ポルコの顔を見たカーチスが、ひどく驚く描写があります
そして、フィオのモノローグで、その後ポルコが人間の外見に戻った様子が語られる、と解釈できる、という口コミもあります
多くの人が、「ああ、フィオのキスで呪いが解けて、人間に戻ったんだ!」と感じた瞬間だと思います
まるで「美女と野獣」みたいだって感想もありましたね
フィオの純粋な愛情表現が、ポルコの凝り固まった心を溶かし、人間性を取り戻させた、という希望に満ちた解釈が生まれます
口コミにも、「フィオのキスで人間に戻った」と書かれているものがあります
さらに、「一度は人間になったが、数日後また豚に戻ってしまった」という説や、「人間に戻ってもまたすぐに豚に戻り、十日くらい経つと飯を食いにジーナの前に現れる」という宮崎監督の発言も紹介されています
ここが、「紅の豚」という作品の、なんとも粋で、そしてちょっと意地悪なところだと思うんです
実は、宮崎駿監督は、このラストシーンについて明確な答えを出していません
インタビューで、「人間の顔に戻ったかどうかは見た人が判断すればいいだからはっきり映さなかった」と語っているんです
つまり、「戻ったかも」「戻ってないかも」「でも、ポルコの心は確かに変わったよね?」という、あえての“曖昧さ”が、このラストのポイントなんですね
人間に戻ったと断定する演出はしていないし、むしろ「人間の顔に戻った」説については否定寄りのニュアンスで回答している、という口コミもあります
ポルコが豚になったのは「心のあり方」の象徴でした
戦争によって傷つき、人間であることに絶望した心
フィオやジーナという、彼を無条件に受け入れ、愛してくれる女性たちとの出会いを通して、ポルコの心は少しずつ癒やされていきます
特に、天真爛漫で真っ直ぐなフィオの言葉や行動は、ポルコに大きな影響を与えたはずです
彼女との出会い、そしてジーナの変わらぬ想い
これらの経験を通して、ポルコは「もう一度、人としてちゃんと生きてみようかな」と思い始めたのかもしれません
つまり、心の変化が「豚の呪い」を解いた、という見方ができる、と口コミは指摘しています
もし人間の顔に戻ったのだとしたら、それはフィオやジーナの優しさを再認識して、「人間も悪くない」と思えたからでしょう
豚の顔は、戦争で深く傷ついた心の象徴であり、若いフィオや彼女の大家族との出会い、日々の生活の中で、その傷が少しずつ癒え、心のトラウマが解けていったことの象徴として、豚の顔が人間に戻ったと周囲の人間が驚く描写があるのかもしれない
フィオがポルコの隠れ家で、銃弾を厳選するポルコの姿を一瞬人間に見たシーンも、カーチスとの決戦前に心が高揚し、かつて軍人だった頃の精神に一瞬戻っていたからだ、という解釈もあります
これもまた、外見の変化は心の変化の表れだ、という考え方ですよね
結局のところ、このラストは「マルコは心の中では人間に戻った
それが外見にも現れたのかもしれない
でも、それを断言せず、どう感じるかは観るあなた次第です」という、宮崎作品らしい余韻の残る終わり方なんです
だから、あなたが「戻った!」と感じたなら、それがあなたにとっての正解ですし、「いや、外見は戻ってないけど、心が前向きになったんだ」と思うのも、また別の正解
はたまた、「人間に戻ってもすぐ豚に戻っちゃうんだ」という、ちょっと寂しいけどリアリティのある解釈もアリです
この「ご想像にお任せします」というラストは、観る人に自由な解釈を委ねてくれていて、それがまたこの作品を何度も観たくなる理由の一つになっているような気がします
豚になった理由も、人間に戻った理由も、はっきりとは語られない
でも、それでいいんです
だって、人生って、そういう曖昧なことだらけじゃないですか?(ちょっとカッコつけすぎましたか?)
この未解決のストーリー展開や、終わりのない結末が好きじゃない、という感想もありましたが、僕は逆に、この余白があるからこそ、ポルコという男の生き方や、彼を取り巻く人間関係について、観終わった後もずっと考えさせられるんだと思います
紅の豚|ポルコ(マルコ)の声優は?
■あのシブい声ポルコ・ロッソを演じた森山周一郎さんという唯一無二の存在
「紅の豚」を語る上で、絶対に欠かせないのが、主人公ポルコ・ロッソの声を担当された森山周一郎さんです
あの、なんとも言えないシブくてダンディで、それでいてどこか寂しげな声
あの声があってこそ、ポルコというキャラクターが、あれほど魅力的に輝いたと言っても過言ではないと思います
口コミには、森山周一郎さんのプロフィールが詳しく書かれていますね
森山さんは、1934年生まれで、ポルコを演じた1992年当時は50代後半
ポルコの設定年齢が36歳ということを考えると、年齢的には少し上ですが、その声には36歳とは思えない、人生経験を重ねた男の色気と深みがありました
本名は、大塚博夫さん
愛知県出身の俳優さんでした
元々は映画カメラマンを目指していたそうですが、声の良さを買われて役者の道へ進んだそうです
劇団を経て、舞台やテレビドラマで活躍されました
特に、1970年代から90年代にかけては、時代劇やアクション作品で重厚な悪役として存在感を示していたそうです
そして、声優としても草創期から活躍されていました
ジャン・ギャバン、リノ・ヴァンチュラ、スペンサー・トレイシー、チャールズ・ブロンソンといった、ハードボイルドな俳優たちの吹き替えを数多く担当されたんです
中でも、森山さんの名を一躍有名にしたのが、アメリカの刑事ドラマ「刑事コジャック」の主人公、テオ・コジャック警部補の吹き替えです
テリー・サバラス演じるコジャックの吹き替えは絶賛され、森山さんはサバラス本人の専属吹き替えとなり、プライベートでも「テリー」「シュー」と呼び合うほど親交があったそうです
ポルコの外見、トレンチコートに帽子とサングラス姿は、まさにこのコジャックの容姿そのままだ、と口コミには書かれています
宮崎監督がコジャックの大ファンだったことから、コジャックの吹き替えを担当していた森山さんにポルコ役のオファーが来た、というわけですね
森山さん自身は、最初オファーを受けた時、「アニメは子供が見るマンガ」という考えがあったことや、宮崎監督を知らなかったことから難色を示したそうなんです
でも、それを聞いていた娘さんが、「断っちゃダメ!」とすごい剣幕で言ったことで、オファーを受けることにした、という面白いエピソードが紹介されています
「知らないとは怖いものである」と森山さんは回想されています
声優としての仕事に対する姿勢も素晴らしかったようです
舞台出身なのでNGをほとんど出さなかったり、「役者と声優は表現することでは同じ」「体を使うか声のみで表現するかの違いだけ」と語ったり
声優養成所の教育にも苦言を呈し、技術よりも個性を重視した「森山塾」を開校するなど、後身の育成にも力を入れていました
そして、森山さんといえば、大の野球好きとしても知られていました
東京芸能人野球連盟で会長を務めたり、「野球極道」の称号を得たり
プロ野球では中日ドラゴンズの大ファンで、「われらマスコミ・ドラゴンズ会」の会長も務めていたそうです
野球中継にゲスト出演した際には、その造詣の深さから他の出演者を押しのけてしまうほど多弁になった、というエピソードまであります
2020年に転倒して体調を崩され、2021年2月8日に肺炎のため86歳で亡くなられたそうです
亡くなる直前まで精力的に活動されていて、最後の仕事はNHKの連続テレビ小説「エール」だったとのこと
森山周一郎さんという方は、俳優としても、声優としても、そして人間としても、本当に魅力的な方だったんだな、と口コミを読んで改めて感じました
特に、ポルコというキャラクターに命を吹き込んだあの声は、いつまでも僕たちの心に残り続けます
2022年には、森山さんの半生と後輩への思いを綴ったドキュメンタリー映画「時には昔の話を/森山周一郎 声優と呼ばれた俳優」も公開されたそうです
森山さんの声、そしてポルコというキャラクターへの愛着が、この映画を通じてさらに深まりました
本当に素晴らしい俳優さんでした
紅の豚ネタバレ|感想・口コミ
「紅の豚」を観た人の感想は、本当に様々ですね
Google検索で感想を探してる人も多いと思うので、口コミにあった色々な意見をまとめてみました
まず、圧倒的に多いのが、この作品に対する称賛の声です
「傑作」「素晴らしい」「最高」「大好き」といった言葉が並びます
アニメーションや作画の美しさ、空の描写、飛行機の躍動感については、特に高い評価を受けていますね
「飛行機が離陸するたびによだれが出る」なんて、すごい表現もありました
キャラクターの魅力も、多くの人が挙げている点です
ポルコのダンディズムや誇りの高さ、ジーナの凜とした強さと美しさ、フィオの天真爛漫さ、カーチスや空賊たちも含めて「誰もが個性的で魅力的」だという意見
「登場人物みんな愛くるしくて、ブレない芯があって凛としていてかっこよくて、面白くて…!」という熱い感想もありました
「粋なセリフが多い」という点も共感を呼んでいます
「飛ばねぇ豚はただの豚だ」は特に有名ですが、「バアちゃんまでついて来そうだからな」とか、「さあ、モリモリ食べて、ビシバシ働くぞ」といったセリフを気に入っている人もいますね
音楽、特に加藤登紀子さんの主題歌「時には昔の話を」を素晴らしいと感じている人も多いようです
ストーリーについては、「シンプルで冒険的」、「笑いあり、涙あり、ロマンスあり、バトルありで盛りだくさん」といった肯定的な意見がある一方で、「戦争をおとぎ話にしてる」「現実を覆い隠したふわっとしたストーリー」と感じた人もいます
また、「ジブリの中では最もリアルな作品」という宮崎監督自身の言葉や、第一次世界大戦後の国際情勢や国民感情を描いた作品、当時の世情が忠実に再現されているといった背景を知ると、単なるファンタジーではない、複雑なテーマが含まれていることが分かります
特に、ファシズムへの抵抗や、国家や社会に縛られない自由な生き方といったテーマは、大人になってから観るとより深く響きます
多くの人が「子供向けではない」「大人向けの作品」だと感じていますね
観る年齢によって感じ方が変わる、というのはこの作品の大きな魅力かもしれません
一方で、率直な感想として「一番ピンとこなかった」という意見もありました
「男が自分に酔ってるのか?と感じた豚のくせに」という辛辣なものや、「若い女の子(フィオ)の性格描写がうざい」と感じた人もいます
フィオの才能や行動力を「鬱屈がない」「男ってこんな女の子が大好きなんだね~」「すごく鬱陶しかった」とまで言っています
この辺りの感想は、人によって全く違う視点があるんだな、と興味深いですね
また、豚になった理由や、最後の結末が明確に説明されないことへの不満も、いくつかの感想に見られました
「なぜ豚なのかはよくわからない」、「理由は映画の中で明かされない」、「一番の見どころになるのかと思っていたので何も説明されないことに驚いた」、「主要な疑問(なぜ豚になったのか)を解決しない」
これについては、先ほど詳しく解説したように、宮崎監督があえて曖昧にしている部分であり、観る人に解釈を委ねている部分ですね
「自分なりの解釈をするのが最高の楽しみ方」、「想像力を自由に解釈できるままになっているのが良い」と感じている人もいます
ラストシーンで、17歳のフィオに対するポルコや他の男性キャラクターの関心に「なんと奇妙なことだろう」「まったく奇妙で、プロットには不必要」と違和感を抱いたという感想もありました
これは、僕自身あまり考えたことのない視点だったので、ハッとさせられました
「血が出ない戦闘シーンでもこんなにカッコよく、美しく描けるのは日本のアニメーションの最高峰」、「シンプルなスピードアクションのストーリー」でありながら、「非常に楽しく考えさせられる物語」だという評価も
特にアメリカでは、複雑すぎず分かりやすいジブリ入門映画として適しているという意見もあります
「心は自由というメッセージに癒される」、「大戦で友を亡くし、唯一生き残った彼の悲しみは、空を飛ぶことで解放されるのだろうか?それとも、そこに近づくために飛ぶのだろうか?」、「粋な豚と空へ」、「なんてロマン溢れる物語なんでしょう」
観た人の心に響く部分は、本当に人それぞれです
「人生の全てが詰め込まれている」と感じる人もいれば、「単なる豚の物語」と感じる人もいる
それが、「紅の豚」という作品の奥深さであり、魅力なのかもしれません
大人だからこそ好きになる、大人のややこしい秘密が詰まった作品だ、という感想もありましたね
まさにその通りで、子供の頃には分からなかったポルコの抱える孤独や哀愁、ジーナとの複雑な関係、そして時代背景に隠されたメッセージが、大人になってから観るとズシリと心に響くんです
「歳をとるほどしっくりくるアニメ」、僕も本当にそう思います
今回、色々な人の感想を口コミから読み解いて、改めて「紅の豚」って本当に多角的な魅力を持った作品なんだな、と感じることができました
皆さんの感想も、ぜひ聞かせてほしいです!
まとめ:紅の豚ネタバレ考察|ポルコ(マルコ)なぜ豚になた?キスで最後に人間に戻った?
■空を飛ぶ豚が教えてくれた、大人のカッコよさとは
いやー、熱く語ってしまいましたが、ここまで読んでくださって本当にありがとうございます!
「紅の豚」について、少しでも深く理解するお手伝いができたなら、これほど嬉しいことはありません
この作品は、単に空を飛ぶ豚の冒険物語ではなく、戦争という人間の愚かさ、国家という権力、そして、その中でどう「自由」に生きるか、というテーマが深く描かれています
ポルコが豚になった理由、人間に戻ったのかどうか
明確な答えがないからこそ、観るたびに想像が膨らみ、その時の自分の年齢や経験によって、また違った発見がある
これこそが、「紅の豚」が色褪せない名作である所以だと僕は思います
そして、森山周一郎さんのあのシブい声
ポルコというキャラクターに、どれだけ深みと魅力を与えてくれたことか
改めて、感謝の気持ちでいっぱいです
「カッコイイとは、こういうことさ」というキャッチコピー
子供の頃は、飛行機に乗ってカッコよく空を飛ぶことだと思っていました
でも、大人になって観ると、この「カッコイイ」にはもっと深い意味があるんだと感じます
時代や権力に屈せず、自分の信念を貫くこと
大切な人を守り、静かに愛すること
過去の傷や罪悪感を抱えながらも、自分なりのやり方で生きていくこと
そして、時には弱さを見せながらも、ユーモアを忘れず、粋に振る舞うこと
ポルコ・ロッソという一匹の豚が、僕たちに教えてくれる「大人のカッコよさ」は、本当に様々です
もし、この記事を読んで「紅の豚」をまた観てみたくなった、あるいは初めて観てみようと思った方がいたら、ぜひ、感じたことや考えたことを誰かと話してみてください
きっと、一人で観るよりも、もっともっと作品の魅力が広がるはずですから
最後に、僕の好きなキャッチコピーの一つを
「飛べば、見える」
まさに、この作品のことだな、と思います
空を飛ぶポルコの視点から見える景色は、単なる風景だけじゃない
人間の本質や、人生の光と影
色々見えてくるんですよね
僕も、明日からまた、自分なりの「飛べば、見える」を探して、頑張ろうと思います
それでは、また次のジブリ作品で、お会いしましょう!