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君たちはどう生きるか(映画)夏子が気持ち悪い?再婚?塔になぜ行った?

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はいどうも皆さん!

ジブリ映画をこよなく愛する、未婚30代前半ブロガーの僕です。

最近、周りの友達とかSNSとか見てると、宮崎駿監督の最新作『君たちはどう生きるか』について、色々な意見があるみたいですね。

特に、登場人物の一人である眞人のお父さんの再婚相手、つまり眞人にとっての新しいお母さんになる夏子さんについて、皆さんも色々な疑問や感想を持っているようです。

Google検索でも「夏子 気持ち悪い」「夏子 タバコ」「夏子 塔 なぜ」みたいなキーワードで検索している人が多いみたいなので、今回は僕なりにソースの情報や僕自身の見解も交えながら、夏子さんについて徹底的に深掘りしてみたいと思います。

正直、この映画は一回見ただけじゃ「?」ってなる部分が多いですよね。

でも、それがまたジブリの魅力というか、見れば見るほど、考えれば考えるほど、色々な発見があるんですよね。

特に夏子さんというキャラクターは、物語の鍵を握る一人でありながら、その行動や心情が掴みづらい、ある種とても人間臭い、複雑な人物だと感じています。

これから一緒に、夏子さんの「なぜ?」を解き明かしていきましょう!

もちろん、この記事は思いっきりネタバレを含みますので、まだ映画を見ていない方はご注意くださいね。

あくまで僕個人の解釈や感想も含まれるので、「そんな考え方もあるんだな?」くらいの軽い気持ちで読んでもらえたら嬉しいです。

それでは、早速始めていきましょう!

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君たちはどう生きるか(映画)夏子が気持ち悪い?再婚?

まず、夏子さんが一部の観客から「気持ち悪い」と言われてしまう理由について深掘りしていきましょう。

正直、僕も初めて映画を見たとき、「え、こんな展開ありなの?」って戸惑った部分があったのは事実です。

ここで言われる「気持ち悪い」というのは、夏子さん個人の容姿や性格が直接的に不気味だという意味合いよりも、彼女が置かれている状況や、彼女と眞人、そして父親との関係性に対して、見ていて生理的な嫌悪感や違和感を抱く人がいる、ということだと理解しています。

ソースの中にも、この点に触れている感想がいくつか見られますね。

例えば、「妻の妹と結婚する事自体がそもそもヤバイ」とか「父親が鬼畜で 継母が色魔」といった、かなり強い言葉で否定的な感情を表している意見があります。

なぜこのような反応が出てくるのでしょうか。

それは、まず設定そのものにあると思います。

眞人のお父さんが、眞人の実のお母さんが亡くなってわずか一年後に、その妹である夏子さんと再婚し、しかもすでに夏子さんは妊娠しているという状況。

この設定が、現代の一般的な倫理観や家族観からすると、かなり衝撃的で受け入れがたいものだと感じる人が多いのではないでしょうか。

ソースにもあるように、昔の日本では、妻が亡くなった際にその姉妹や従姉妹と再婚するという風習は珍しくなかったようです。

これは個人の感情よりも「家を存続させる」「家同士の契りを守る」といったことが重視された時代の名残であり、特に裕福な家柄であればなおさら、事業や財産を守るために戦略的な結婚が行われた可能性も示唆されています。

お父さんが眞人のお母さんの病状を見ながら夏子さんと子作りをしていたのでは?という推測まであります。

こういう歴史的な背景や当時の価値観を知っているかどうかで、この設定に対する見方も変わってくるかもしれません。

でも、映画を見ている多くの観客は、まず現代的な感覚で物語を捉えますよね。

そうすると、最愛の妻を亡くしたにもかかわらず、すぐにその妹と関係を持ち、再婚するというお父さんの行動は、「節操がない」「デリカシーがない」「ヤバイ」と映ってしまう。

そして、夏子さんもまた、姉が亡くなったばかりなのに、その夫と結婚し、妊娠しているという状況に対して、「姉の死を悲しむどころか、喜々として膨れた腹を継子に触らせてマウント取ったり、継子から母親呼びされないとガキみたいに拗ねたり」と、どこかズレている、不気味だと感じる人もいるようです。

この描写、確かに夏子さんのキャラクターを際立たせていますが、同時に観客に強い違和感を与えかねない部分でもあります。

眞人に対して、「お母さんと呼んで」と迫ったり、お腹を触らせようとしたり、眞人が自分を母として受け入れてくれないことに思い悩んだり、「あんたなんか大っ嫌い!」と感情を爆発させたり、これらの夏子さんの言動は、彼女の精神的な不安定さや、新しい環境、新しい家族関係に馴染もうとする中での葛藤を表しているのだと思います。

特に、眞人から「母親」として受け入れられていないと感じていたことや、つわりの辛さ、さらには夫である勝一との関係性での悩みなど、夏子さんは様々なプレッシャーの中で精神的に追い詰められていたことが示唆されています。

これらの描写は、夏子さんもまたこの不条理な状況の「被害者」である側面を描いているとも言えますが、その一方で、その追い詰められた状態での言動が、観客によっては痛々しく感じられたり、理解し難く「気持ち悪い」と感じられたりするのかもしれません。

また、眞人が自分を傷つけてまで学校を休んだ際、夏子さんが怪我そのものよりも、自分が怪我をさせてしまったかのように自分を責めて泣く様子を見て、「メンヘラ気質」だと感じる人もいるようです。

これは、彼女がお嬢様育ちで気丈に振舞う癖がついているだけで、内面的にはどこにでもいる普通の女性であり、思っていたよりも現実が厳しくて弱り、自信を無くしている状態を描写しているのだと思いますが、眞人との間のすれ違いや、感情の機微が分かりづらい形で描かれているため、一部の観客にはその行動の真意が伝わりにくく、奇妙に映ってしまうのかもしれません。

さらに、夏子さんと眞人のお母さん(ヒサコ/ヒミ)が瓜二つという設定でありながら、彼女たちが双子である可能性や、夏子さんが魔法で容姿を似せている可能性が示唆されていることも、単なる姉妹ではない、どこかミステリアスで不気味な雰囲気を醸し出している一因かもしれません。

特に「整形のような魔法」で顔を似せているという説は、もしそうだとすれば、彼女の外見そのものが偽りであるという点で、観客に潜在的な不信感や嫌悪感を抱かせる可能性があります。

このように、夏子さんが「気持ち悪い」と言われる理由は、彼女個人の問題というよりも、作品が描く家族関係の異様さ、時代背景とのギャップ、夏子さんの精神的な不安定さからくる言動、そしてミステリアスな設定が複合的に組み合わさることで、一部の観客に生理的な抵抗感や不快感を与えてしまうからだと考えられます。

しかし、これは夏子さんというキャラクターが単なる記号ではなく、複雑な内面を持つ人間として描かれている証拠でもあります。

彼女の苦悩や葛藤を理解しようと努めることで、作品世界への理解も深まるのではないでしょうか。

僕自身は、夏子さんの描写を通して、戦争という異常な状況下で、人がどのように感情や人間関係の歪みと向き合っていくのかというテーマを感じました。

君たちはどう生きるか(映画)夏子のタバコの意味

次に、眞人が夏子さんの部屋からタバコを持ち出すシーンについて、その意味を考察していきましょう。

このシーン、初めて見たときは「え、なんでタバコ?」って、正直よく分かりませんでした。

でも、ソースを調べてみると、このタバコが後の眞人の行動に繋がる、結構重要なアイテムだったことが分かります。

眞人は夏子さんの部屋から持ち出したタバコを、屋敷に仕える老人(爺や)に渡します。

そのお礼として、爺やは眞人に錆びた小刀(鉛筆削り用だったらしい)の研ぎ方を教えるんですね。

そして眞人はその小刀を使って、棒や竹を削り、自分用の弓矢を作ります。

この弓矢は、その後、眞人が怪しいアオサギを退治しようとする際に使われることになります。

つまり、夏子さんの部屋にあったタバコは、眞人が弓矢を手に入れるための「取引材料」として機能したわけです。

ここでタバコが持つ意味について考えてみましょう。

まず、時代背景として戦時中、そして眞人が疎開した先の家は、軍需工場を経営する裕福な家庭です。

タバコは、その時代や階級を象徴するアイテムの一つとして描かれているのかもしれません。

お父さんが煙草を吸っている描写もありますし、夏子さんの部屋にタバコがあることも、裕福な家庭のお嬢様であった彼女の生活の一部を示している可能性があります(ただし、彼女自身が吸っていたかは不明)。

そして、眞人がそのタバコを大人の男性である爺やに渡すという行為。

これは、子どもである眞人が、大人の世界の「取引」や「駆け引き」に足を踏み入れた瞬間を描いているようにも見えます。

タバコという、子どもにとっては本来縁のないアイテムが、彼と大人の世界を繋ぐ媒介となったわけです。

さらに、このタバコを媒介として手に入れたのが「弓矢」である、という点も重要です。

弓矢は、古来より自己防衛や狩り、そしてある種の「力」を象徴する道具です。

眞人はこの弓矢を使って、自分に悪意を向けるアオサギに立ち向かおうとします。

これは、彼が与えられた環境や不条理な出来事に対して、受け身でいるのではなく、自分自身の力で行動を起こし、状況を変えようとする意思の現れと解釈できます。

タバコという、ある種退廃的で大人のアイテムが、子どもの自立や行動力の源泉となる道具へと繋がる、この対比も面白いと感じます。

また、タバコを巡る他の登場人物の反応も見てみましょう。

爺やはタバコを受け取って小刀の研ぎ方を教えますが、キリコさんも眞人がタバコを持っているのを見て、自分も欲しいと取引を持ちかけようとします。

彼女は、眞人が子ども向けの弓を持っていることを知っていると話し、「タバコと交換に教えてあげようか?」というニュアンスで眞人に声をかけています。

これは、あの屋敷に暮らす人々にとって、タバコが一定の価値を持つもの、あるいはコミュニケーションのツールとして機能していたことを示唆しています。

キリコさんがタバコを好んでいたかどうかは分かりませんが、少なくとも眞人がタバコを「取引」に使ったこと自体は、彼女にとって興味を引く出来事だったのかもしれません。

眞人が結局タバコを全て爺やにあげてしまったというオチも、彼が計算高くタバコを温存していたわけではなく、その場の衝動や、爺やとの関係性の中で自然に行った行為だったことを示唆しているようにも感じられます。

タバコが持つ象徴的な意味については、様々な解釈が可能だと思います。

単なる時代背景を示すアイテムかもしれませんし、大人社会の汚濁や危険性を暗示しているのかもしれません。

あるいは、眞人が母親を亡くし、新しい環境に馴染めずにいる中で、得体の知れない不安や違和感(タバコの煙のような?)を感じていることのメタファーかもしれません。

しかし、最も分かりやすい意味合いとしては、このタバコが眞人の「行動」を引き出すきっかけとなった、という点でしょう。

現実世界での小さな「取引」が、異世界での「冒険」へと繋がっていく、その最初の糸口となったアイテムがタバコだった。

そう考えると、このシーンは単なる日常描写ではなく、眞人の物語における重要な伏線であり、彼の内面の変化や成長の始まりを示唆しているのかもしれません。

僕はこのタバコのシーンを見るたびに、些細なきっかけが人の行動を大きく変えることがあるんだな、と考えさせられます。

特に、不器用ながらも自分自身の力で状況を打開しようとする眞人の姿に、どこか共感を覚えるんですよね。

君たちはどう生きるか(映画)夏子は塔になぜ行った?

さて、今回のブログ記事のクライマックス、夏子さんがなぜ塔の世界へ姿を消したのか、その理由を深く探求していきましょう。

この「夏子が塔に行った理由」は、『君たちはどう生きるか』の中でも特に多くの人が疑問に思っている点であり、物語の核心に触れる部分でもあります。

ソースの中にも、この疑問に対する様々な考察が寄せられています。

まず、最も直接的な理由として挙げられるのが、夏子さんが「何かに引き寄せられるように」塔へ向かった、という描写です。

これは、彼女自身の明確な意思というよりも、塔や異世界が持つ抗いがたい力によって導かれた可能性を示唆しています。

では、なぜ彼女はその力に引き寄せられたのでしょうか。

一つの大きな要因として、夏子さんの精神状態が挙げられます。

彼女は眞人の新しい母親になろうと努力しますが、母親を亡くした深い悲しみを抱える眞人はなかなか心を開いてくれません。

丁寧な言葉遣いをしながらも、どこか距離を感じさせる眞人の態度に、夏子さんは「母親」として受け入れられていない苦悩を感じていたようです。

お屋敷の婆やたちも、眞人と夏子さんの関係が良好ではないことに気づいていた描写があります。

また、妊娠中のつわりがひどく、肉体的にも精神的にも大きな負担を抱えていました。

新しい命を宿している責任感と、家族としての立ち位置への不安が重なり、彼女はかなり追い詰められていたと考えられます。

眞人に会いたいと願っても、なかなか応じてもらえず、ようやく会えたと思ったら、そのそっけない態度に傷ついてしまった。

このような、肉体的・精神的な苦痛からの「離脱」を求めて、夏子さんは森へ入り込み、塔の世界へと向かったという側面もあるでしょう。

現実世界での辛さから逃れるように、不思議な力に導かれて異世界へと足を踏み入れたのかもしれません。

さらに、夏子さんが塔に行ったのは、大叔父の計画の一部だった可能性も指摘されています。

大叔父は下の世界に夏子さんのための「産屋」を用意しており、青サギに夏子さんを案内させた、あるいは夏子さん自身が大叔父に助けを求めた、という推測があります。

なぜ産屋が塔の中に用意されていたのか。

それは、そこで赤ちゃんを産むことが、赤ちゃんの命にとって安全だったから、あるいは大叔父の跡継ぎに関わる重要な儀式だったから、と考えられています。

大叔父は、完璧で悪意のない世界を築こうとしており、その世界の維持や後継者を求めていました。

夏子さんが身籠った子供、あるいは眞人(元々のターゲットだった可能性も)を、その世界の跡継ぎにしようとしていたのです。

そのため、大叔父は夏子さんを塔の世界へ誘導し、そこで出産させようとしたのかもしれません。

夏子さんが産屋に入ることが「禁忌」とされていたのは、それが新しい世界の君主の誕生に関わる神聖かつ重要な行為であり、外部の干渉を許さないためだったと考えられます。

夏子さんが「このままでは赤ちゃんの命が危ない」と察していたため、無事に産むために現実世界には帰れない、と下の世界でヒミに話していた、という解釈もあります。

これは、夏子さんが単に精神的に弱っていただけでなく、母親として赤ちゃんを守ろうとする強い意志を持っていたことを示唆しています。

眞人を受け入れたいという理性的な思いと、眞人との関係性や現実の厳しさに対する心の奥底にある感情との間で苦しんでいた、その葛藤も彼女を塔へと向かわせた一因でしょう。

最終的に、眞人が産屋で夏子さんを「お母さん」と呼んだことが、彼女の心を大きく動かし、彼女が現実世界に戻るきっかけとなります。

これは、夏子さんが探し求めていた「母親としての自分」を眞人に認められた瞬間であり、彼女の心の重荷が少し軽くなったことを意味するのかもしれません。

夏子さんが塔へ行った理由は、単に「つわりが辛かったから」とか「眞人との関係に悩んだから」といった一つだけの理由ではなく、これらの複数の要因が複雑に絡み合った結果だと考えるのが自然でしょう。

妊娠による体調不良や精神的な追い詰められ、眞人との関係性の悩み、そして何よりも、大叔父による誘導や、新しい命を守るという母性的な本能が、彼女をあの不思議な塔の世界へと誘ったのだと思います。

夏子さんの行動を通して、この映画が描く「生と死」「現実と異世界」「親子の関係性」「時代の不条理」といった様々なテーマがより鮮明に見えてくるような気がします。

彼女の「大っ嫌い!」という言葉も、単なる拒絶ではなく、追い詰められた中での精一杯の抵抗や、タブーを侵されたことによる混乱など、様々な感情が入り混じった叫びだったのかもしれません。

個人的には、夏子さんが下の世界でも無事に赤ちゃんを産むことを諦めなかった姿に、人間の強さや母性を感じました。

そして、最終的に眞人と親子として現実世界に戻ってくる姿は、この映画が描く希望の一つだと感じています。

まとめ:君たちはどう生きるか(映画)夏子が気持ち悪い?再婚?塔になぜ行った?

皆さんは夏子さんの行動について、どのように感じましたか?

この映画は本当に色々な解釈ができて面白いですよね!

もし他の意見や、この記事を読んで思ったことがあれば、ぜひコメントで教えてください。

皆さんの感想も聞いてみたいです!

それでは、今回はこの辺で失礼します。

また次回のブログでお会いしましょう!

ジブリ大好きブロガー、僕でした!

ばいばーい!

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