アニメ『チ。―地球の運動について―』25話(最終回)の最後について。
禁断の地動説を追い求め、命を燃やす者たちの壮絶なドラマ。
知的好奇心が歴史を動かす、魂を揺さぶる物語ですが、ラストに利益が出たら1割ポトツキに与えるという手紙がなぜ送られた?
チ。 (アニメ)25話(最終回)あらすじ
はいはい、皆さん、ついに来ましたね!『チ。―地球の運動について―』最終回、第25話「?」の放送が終わって、早数日。
未だにあの衝撃的なラストシーンが頭から離れない、30代前半未婚の漫画・アニメ大好き専門家(自称)、[あなたの名前]です。
いやあ、最終回、本当に凄かった。毎週土曜の深夜が楽しみで仕方なかったこの作品も、ついに幕を下ろしてしまいました。
なんだか一抹の寂しさを感じている方も多いんじゃないでしょうか?僕もその一人ですよ。
さて、今回は皆さんがきっと気になっているであろう、最終回(25話)のあらすじ、ラストに登場した手紙の謎、そして放送を見た人たちの感想について、僕なりに徹底的に詳しく解説していきたいと思います!熱い想いを込めて書きますので、最後までじっくり読んでいってくださいね!
最終回は、前回の第24話から引き続き、パン屋で働く青年アルベルト・ブルゼフスキの子供時代が描かれるところから始まります。
冒頭、青年になったラファウが、少年アルベルトを何かの集会のような場所に連れて行くシーンが描かれます。そこでラファウは、学術の未来において最も重要な才能は「好奇心」であると力強く語ります。しかし、同時に真理が発見されるものではなく、作られるものになるかもしれないという危惧も示唆するんです。過去の書物、異なる歴史や文化、信仰を持つ他者との接触によって、絶対不変の真理という理念が薄れていく可能性、そして「知」の総体に触れたいという崇高な欲望、つまり「好奇心」が不要なものとして唾棄されるかもしれない、と。そんな未来への警鐘を鳴らしつつ、ラファウは「好奇心」を信じようと乾杯を捧げるんですね。この時点では、まだ希望に満ちた、未来への期待を感じさせる場面でした。
しかし、次の瞬間、画面は一転。アルベルトが自宅に帰り、ドアを開けると、そこには血塗れで倒れた父親と、ナイフを持ったラファウが立っているという、まさに衝撃的な光景が広がります。ラファウは淡々と、「理性的に対応すれば、この状況も飲み込めるはずだ。君ならできる」と告げ、まるで事もなげにアルベルトの父親を殺害した理由を語り始めるんです。この急展開には、僕もリアルタイムで見ていて「えええええ!?」と声が出ちゃいましたよ。一体何が起こったんだと、頭が真っ白になりました。
そこから時間は遡り、アルベルトの子供時代が丁寧に描かれていきます。自由農民の息子として生まれ、幼くして母親を亡くし、父親一人に育てられたアルベルト。彼の父親は学ぶことを非常に重んじる人物で、村の有力者にも気に入られ、様々な書物を読む機会を与えられていたそうです。その影響を受け、アルベルトも早くから文字を学び、夜な夜な星を観測するような少年だったんですね。ある日、動かない星、北極星を発見し父親に報告すると、父親はそれを褒め称え、「この先何かを学ぶことがあったら覚えていて欲しい。疑うことだ。人の役に立たない道は止まるべきだ。それでも学びたいなら家庭教師をつけよう」と言うんです。この父親の言葉、「疑うこと」は、後のアルベルトの人生において重要な指針となるのでしょう。
そして、アルベルトは家庭教師として現れた青年ラファウと出会います。ラファウは父親とは対照的に、「信じる」ことの大切さを教えるんですね。この二人の間で揺れ動くアルベルトの心情が、丁寧に描かれていました。ラファウはアルベルトの旺盛な好奇心を決して否定せず、むしろ肯定し、彼を学術的な意見交換の場へと連れて行きます。しかし、アルベルトは自身の「知りたい」という欲望をどこか恐れてもいるようで、「知りたい欲望はクソだ」とさえ口にする場面もありました。この言葉の裏には、過去に何かあったのかもしれません。
物語は再び現在に戻り、アルベルトは教会で謎の司祭から告解を促されます。その司祭は、以前アルベルトの父親から賢人の言葉を聞いたことがあると語り、全ての物には「アレテー(卓越性、有能性)」があると説きます。パン職人である親方の「アレテー」はパンを焼くこと。では、アルベルトの「アレテー」は何なのか?司祭は「趣味は神が与えてくださった使命だ。自分が自分でいられる場所だ」と諭し、若いうちはそれに浸るべきだと告げるんです。
告解の中で、アルベルトは子供時代の出来事を語り始めます。ブルセヴォという村の出身であること、父親が学びを重んじていたこと、そしてラファウという家庭教師との出会い。司祭はアルベルトの話を聞き、「大学へ行くのは一つの道だと思う」と勧めます。そして、自身も過去に友を見殺しにしたという後悔を打ち明け、「神はいつも私たちの居場所になってくださる。しかしそのためには、私たちが私たち自身を乗り越え、神に向き合わなければならない。そして孤独に問い続けなければならない。自分は神に認めてもらえる存在なのだろうか、と」と語るんです。この司祭の言葉は、アルベルトの心に深く突き刺さったことでしょう。
告解を終えたアルベルトはパン屋に戻り、親方に大学へ行かせてほしいと頭を下げます。そして、彼はクラクフ大学へと入学します。大学を後にするアルベルトの目に映るのは、眩しい太陽の光でした。
一方、場面は変わり、杭に繋がれ、夜空を見上げるラファウ。首に縄をかけられ、同じく夜空を見つめるオクジー。山から昇る朝日を静かに見つめるドゥラカ。それぞれのキャラクターの辿った過酷な運命が、短いカットで象徴的に描かれます。
そして、物語は再び動き出します。街を歩くアルベルトの耳に、郵便配達員の読み上げる声が聞こえてきます。「権利書。以下の著作物が出版された際、利益の1割を贈与します。本の題名は『地球の運動について』」。アルベルトはその言葉を聞き、「書き違いかな。運動するのは天球だし。地球の運動について、か」と疑問を抱き、最後に「?」という表情を浮かべるのです。
画面は切り替わり、1468年、アルベルト・ブルゼフスキは23歳でクラクフ大学に入学したことが示されます。さらに、1482年には彼が当時の天文学の教科書への注釈書を書き、それが大学で広く学ばれたこと、そして1491年には同大学の生徒の中にコペルニクスという名の青年がいたことが年表で示され、物語は幕を閉じるのです。
このラストシーンは、まさに衝撃的であり、同時に多くの問いを残すものでした。ラファウは何故アルベルトの父親を殺害したのか?あの手紙は一体誰が、何故ポトツキに送ったのか?そして、アルベルトはこれからどのような道を歩むのか?コペルニクスとの出会いは、彼の人生にどのような影響を与えるのか?様々な疑問が渦巻き、視聴者の心に深く刻まれたことでしょう。
チ。 (アニメ)25話(最終回)ラスト|ポトツキになぜ利益?※ネタバレ注意
ラストの手紙は何を意味するのか?ポトツキに宛てられた理由を考察
最終回で突如として登場した、「地球の運動について」という書物の利益の1割をポトツキに贈与するという内容の手紙。この手紙が一体何を意味するのか、そして何故ポトツキに宛てられていたのか、多くの視聴者が疑問に思ったことでしょう。僕も、このシーンは非常に気になりました。
作中で明確な理由は語られていないため、これはあくまで僕個人の考察になりますが、いくつかの可能性が考えられると思います。
まず、ポトツキは第一章に登場した、ラファウの養父であり、神学者でした。ラファウが地動説に傾倒していくことを強く危惧し、反対していた人物です。しかし、養子であるラファウを深く案じる気持ちも持っていました。
一つの可能性として考えられるのは、ラファウが、自身の研究が将来「地球の運動について」という書物として結実することを予見していた、あるいは強く願っていたということです。そして、かつて自分を育ててくれた養父であるポトツキに対し、何らかの形で報いたい、あるいは自身の研究の成果を認めてもらいたいという気持ちがあったのではないでしょうか。手紙を送ったのがラファウ自身である可能性も否定できません。彼がどのような状況で ?? ??? ??手紙を書くことができたのかは謎ですが、もしかしたら、彼の信念を受け継ぐ誰かが、彼の遺志を継いで手紙を送ったのかもしれません。
別の可能性としては、ラファウとは別の誰かが、地動説の研究を受け継ぎ、「地球の運動について」という書物を著すことを計画しており、その研究の過程で、かつて地動説に関わった人々のことを知り、ポトツキにも何らかの形で恩恵を与えるべきだと考えたのかもしれません。ポトツキ自身も、直接的ではないにしろ、ラファウを通じて地動説に触れていた可能性があります。
また、少し穿った見方をすれば、この手紙は、過去の地動説研究に関わった人々の存在を、未来に生きるアルベルトに示すための象徴的なアイテムだったとも考えられます。「地球の運動について」という言葉が、過去から未来へと繋がる知のバトンのような役割を果たし、アルベルトの心に小さな疑問を植え付ける。その疑問こそが、後にコペルニクスへと繋がる大きな流れを生み出す原動力となるのではないでしょうか。
ポトツキが直接地動説の研究に貢献したという描写はありませんでしたが、ラファウという存在を通して、その流れの一端に関わっていたと考えることもできます。手紙の宛先がポトツキであったのは、過去の地動説研究者たち、あるいはその思想を支えた人々の代表として選ばれたのかもしれません。
いずれにしても、この手紙の真意は明確には語られていません。しかし、それこそがこの作品の魅力なのかもしれません。視聴者一人ひとりが、それぞれの解釈を持ち、物語の余韻を楽しむことができる。作者の魚豊先生の巧妙な仕掛けに、改めて感服させられます。
チ。 (アニメ)25話(最終回)感想
最終回を見た人たちの熱い感想
さて、最終回を見た人たちは、一体どのような感想を抱いたのでしょうか?SNSやレビューサイトなどを覗いてみると、やはり大きな反響があったようです。
まず多かったのは、ラファウの衝撃的な行動への困惑と衝撃の声です。あんな形で物語が展開するとは予想していなかったという人が多く、「どういうこと?」「信じられない」「理解が追いつかない」といったコメントが多数見られました。特に、第1章で自らの信念のために命を絶ったラファウが、最終章であのような形で登場し、しかも殺人を犯すという展開は、多くの視聴者にとって予想外だったようです。
その一方で、この展開について様々な考察をする人も現れました。「パラレルワールド説」を唱える人 や、「最終章はそれまでのフィクションの世界とは異なる、現実世界に近い世界線を描いたのではないか」という意見 も見られました。確かに、最終章では舞台が「P王国」ではなく「ポーランド王国」と明記され、アルベルト・ブルゼフスキという実在の人物が登場したことも、そうした考察を裏付ける要因となっているのでしょう。
また、ラストの手紙についても多くの言及がありました。「あれは何を意味するんだろう?」「ポトツキって誰だっけ?」といった疑問の声とともに、「未来への希望を感じた」「過去の研究が無駄ではなかったことが示唆されているようだ」といった前向きな感想も上がっていました。
さらに、物語全体を通してのテーマである「知的好奇心」や「探求心」について、改めて深く考えさせられたという感想も多く見られました。ラファウの極端な行動も含めて、知を求めることの光と影、その両面を描き出した最終回だったと捉える人もいるようです。
アニメーションの演出や音楽についても、最終回も素晴らしかったという声が多数上がっていました。特に、それぞれのキャラクターの最期を象徴的に描いたシーンや、ラストシーンの余韻を残す演出は、多くの人の心を捉えたようです。
そして、何よりも多かったのは、「素晴らしい作品だった」「アニメ化してくれてありがとう」といった、作品全体への感謝と感動の声でした。毎週、心を揺さぶられる物語を届けてくれた制作陣や声優陣への感謝の気持ちを綴っている人がたくさんいました。僕も、この作品に出会えて本当によかったと思っています。
もちろん、最終回の展開があまりにも衝撃的だったため、「消化不良」「賛否両論ある終わり方だった」といった意見も一部には見られました。特に、それまでの物語の結末が描かれず、突然現実世界に近い設定に移行したことや、コペルニクスの物語が描かれなかったことに対して、不満を感じた人もいたようです。しかし、そうした意見も含めて、この作品が多くの人の心に深く刻まれた証拠と言えるでしょう。
最終回を迎えて、改めて『チ。―地球の運動について―』は、単なる歴史漫画や科学漫画ではなく、人間存在の根源的な問いを私たちに投げかける、深く考えさせられる作品だったと感じました。知とは何か、探求とは何か、信念とは何か、そして生きるとはどういうことなのか。この作品を通して、様々なことを考えさせられました。
まとめ:チ。 (アニメ)25話(最終回)ラスト|ポトツキになぜ利益?
最終回は、多くの謎を残しましたが、それこそがこの物語の終着点として相応しいのかもしれません。「?」というタイトルが示すように、私たち自身が考え続け、問い続けることこそが、この作品から受け取った最大のメッセージなのではないでしょうか。
さあ、皆さんは最終回を見て、どのように感じましたか?ぜひ、あなたの感想もコメントで教えてくださいね!僕も皆さんと一緒に、この素晴らしい作品について語り合いたいです。
それでは、今回はこの辺で。また別の作品について熱く語る機会があれば、ぜひお付き合いください!最後まで読んでいただき、ありがとうございました!