昭和50年に発生した足利銀行横領事件について
犯人である大竹章子とその交際相手である阿部誠行の生い立ち、事件の概要、逮捕に至るまでの経緯、そして二人の現在の消息について詳しく解説しています。
足利銀行横領事件wiki
■女性の純愛を悪用した男!足利銀行横領事件の真相に迫る
昭和を震撼させた事件!2億円横領の真相とは?
1975年、日本中を震撼させた「足利銀行横領事件」。23歳の若き女性行員、大竹章子による2億円を超える巨額横領事件は、当時の社会に大きな衝撃を与えました。一体なぜ、真面目で優秀と評判だった彼女が、このような犯罪に手を染めてしまったのでしょうか?
大竹章子:悲劇のヒロイン
栃木県栃木市で育った大竹章子は、周囲から真面目で優しい性格として知られていました。高校時代はテニス部のキャプテンを務め、成績も優秀で、まさに才色兼備。高校卒業後は学校長推薦で足利銀行に入行し、将来を嘱望される存在でした。
運命の出会い、そして悪夢へ
1973年8月、東北旅行中の大竹は、電車内で阿部誠行という男と出会います。洗練された物腰と巧みな話術を持つ阿部に、大竹は次第に惹かれていきました。阿部は「石村」という偽名を使い、「国際秘密警察員」という架空の職業を語り、大竹の心を掴みます。
結婚という甘い罠
阿部は結婚をほのめかしながら、国際秘密警察を脱退するためには多額の資金が必要だと大竹に嘘をつきます。純粋な大竹は、愛する人のためにと、最初は自分の貯金から、そして父親名義の預金からも金を工面するようになります。
エスカレートする要求、そして横領へ
阿部の要求はエスカレートし、ついに5000万円が必要だと告げます。大竹は途方に暮れますが、阿部は「君は銀行の貸付係だろう」と、銀行の金に手をつけるよう暗に指示します。こうして大竹は、上司の検印を盗用して手形を偽造し、現金化する手口で横領を始めます。
総額2億円!貢ぎ続けた先に待っていたもの
大竹は2年間で63回にわたり、総額2億1190万円を横領し、すべて阿部に貢ぎました。彼女は阿部との結婚を夢見て、貢ぎ続けることをやめられませんでした。 一方、阿部は横領された金で競馬予想会社やクラブを経営するなど、豪遊を繰り返していました。
破滅への道、そして逮捕
1975年7月、足利銀行本店の抜き打ち検査により、大竹の横領が発覚。警察の捜査が迫る中、阿部は逃亡しますが、9月18日、東京・五反田駅で愛人と共に逮捕されます。 逮捕時、阿部の所持金はわずか250円でした。
裏切られた愛、そして怒り
逮捕された大竹は、当初は阿部が自分を助けに来ると信じていましたが、彼の逮捕を知ると、裏切られた怒りを露わにします。「あの男を、一生、刑務所から出さないで…」「死刑にしてほしいほどなんです」「女の生き血を吸って生きている、悪い男なんです」
裁判、そしてその後
裁判の結果、大竹は懲役3年6カ月、阿部は懲役8年の実刑判決を受けました。出所後の二人の消息は不明です。
現代社会への警鐘
足利銀行横領事件は、純粋な愛が利用され、破滅へと導かれた悲劇です。現代においても、結婚詐欺やロマンス詐欺など、人の弱みにつけ込む犯罪は後を絶ちません。この事件は、甘い言葉に騙されず、冷静な判断を下すことの大切さを私たちに教えてくれます。
足利銀行横領事件wiki|大竹章子の現在・その後は?生い立ちは?
大竹章子の現在について、逮捕時に「あの男を、一生、刑務所から出さないで…」「死刑にしてほしいほどなんです」「女の生き血を吸って生きている、悪い男なんです」と阿部誠行への怒りを露わにした言葉が公に記録されている最後の言葉となっています。
生い立ちについては、
- 栃木県栃木市の郊外で生まれ育ちました。
- 3人兄弟の真ん中で、姉と弟がいます。
- 両親は農業とビール用原料麦の運送業を営んでいました。
- 幼い頃から真面目で優しい性格として知られていました。
- 特に家事を熱心に行い、両親が止めるまでトイレ掃除をするほど几帳面な一面もあったようです。
- 栃木商業高校に進学し、テニス部のキャプテンを務めました。
- 学業成績も常にトップクラスで、20位以下になったことがなかったそうです。
- 高校卒業後は学校長推薦で足利銀行栃木支店に入行しました。
- 銀行では貸付係として勤務。
- そこでも無遅刻無欠勤で仕事も優秀、明るい性格で上司や同僚からの信頼も厚かったといいます。
これらのことから、大竹章子は真面目で努力家、責任感の強い人物として周囲から高く評価されていたことが分かります。しかし、恋愛経験が少ないゆえに、阿部誠行の嘘を見抜くことができず、結婚という夢を叶えるために、横領という犯罪に手を染めてしまったと考えられます。
足利銀行横領事件wiki|阿部誠行の現在・その後は?生い立ちは?
阿部誠行の現在にについて、事件当時25歳だったため、生存していれば2024年現在で73歳だと推測されます。
生い立ちについては、
- 宮城県登米郡登米町の出身です。
- 父親は地元の名士で、下駄屋を営んでいました。後に電子工業の工場長に就任しています。
- 宮城県立登米高校を卒業後、立正大学に進学しましたが中退しています。
- 大学時代、父親の事業失敗を機に家族で関東に移住。この頃から競馬や競輪に溺れるようになり、大学を中退することになります。
- その後、千葉の自衛隊に入隊しますが、船橋競馬場近くの蕎麦屋に強盗に入り、逮捕されています。
- 執行猶予判決を受けた後、東京へ出てきました。
- 事件当時、既に結婚していましたが、複数の愛人もいました。
阿部誠行は裕福な家庭環境で育ち、高い教育を受ける機会もありましたが、父親の事業失敗をきっかけに人生が暗転していったようです。
ギャンブルに溺れ、犯罪に手を染めるようになり、大竹章子と出会った時には既に前科持ちで、結婚しているにも関わらず複数の愛人を持ち、虚言を弄して女性を騙すことに長けていた人物であったことが伺えます。
まとめ:足利銀行横領事件wiki|大竹章子と阿部誠行の現在・その後は?
1975年7月に発覚した足利銀行横領事件は、23歳の女性行員・大竹章子による2億1190万円(現在の価値で約3億8000万円)の着服事件です。大竹は勤務態度が良く、真面目で優秀な行員として知られていましたが、交際相手の男・阿部誠行に貢ぐために横領に手を染めました。
大竹章子について
- 栃木県栃木市出身。
- 3人兄弟の真ん中(姉と弟がいる)。
- 実家は農業とビール用原料麦の運送業を営んでいた。
- 幼い頃から真面目で、家事もよく手伝っていた。
- 栃木商業高校時代はテニス部のキャプテンを務め、成績も常にトップクラスだった。
- 高校卒業後、学校長推薦で足利銀行栃木支店に入行。
- 銀行では貸付係として勤務し、無遅刻無欠勤で仕事も優秀だった。
阿部誠行について
- 宮城県登米郡登米町出身。
- 父親は地元の名士で下駄屋を営んでいた(後に電子工業の工場長に就任)。
- 宮城県立登米高校卒業後、立正大学に入学するも中退。
- 大学時代、父親の事業失敗を機に家族で関東に移住し、ギャンブルに溺れるようになる。
- 自衛隊に入隊するも、強盗事件を起こして逮捕され、執行猶予付きの判決を受ける。
- 事件当時、結婚していたが、複数の愛人もいた。
二人の出会い
- 1973年8月、仙台行きの急行「松島4号」の車内で、旅行中だった大竹に阿部が声をかけたのがきっかけ。
- 阿部は「石村」という偽名を使い、国際秘密警察員を名乗っていた。
横領の経緯
- 阿部は結婚をほのめかしながら、組織を抜け出すために金が必要だと大竹に嘘をつき、金を要求。
- 大竹は当初、自分の預金や父親名義の預金から金を工面していたが、最終的には阿部の指示で銀行の金に手をつけるように。
- 大竹は上司の検印を白紙の手形や伝票に押印し、それを持ち帰って金額を書き込み、後日現金化する手口で横領を繰り返した。
- 約2年間で63回にわたり、総額2億1190万円を横領。
- 大竹は阿部との結婚を信じ、貢ぎ続けていた。
- 阿部は横領した金で競馬予想情報会社やクラブを経営し、愛人たちと豪遊していた。
事件の発覚と逮捕
- 1975年7月、足利銀行本店の抜き打ち検査によって大竹の横領が発覚。
- 警察の捜査が迫る中、阿部は逃亡。
- 大竹は7月21日に逮捕。
- 阿部は9月18日、東京・五反田駅で愛人と共に逮捕された。
- 逮捕時、阿部の所持金はわずか250円だった。
判決
- 大竹には懲役3年6カ月、阿部には懲役8年の実刑判決。
事件後
- 大竹の出所後の消息は不明。
- 阿部の出所後の消息も不明。