伝説的なプロレスラーである初代ハヤブサ(江崎英治)の功績と、彼の意志を受け継ぎ登場した二代目ハヤブサの活動について
初代ハヤブサが繰り出した華麗な空中殺法や不屈の精神はファンを魅了。
ただ試合中の事故による頸椎損傷、そして若くして亡くなった後、近年登場した二代目ハヤブサが、初代の技やスタイルを踏襲しながらも、自身のプロレスを確立し、ZERO1のビッグマッチや「火祭り」参戦を目指しています。
2代目ハヤブサ(プロレス)正体は誰?噂の「めんたい☆キッド」は否定
■令和に舞い降りた不死鳥! 2代目ハヤブサ徹底解剖!
まさか、あのハヤブサの二代目が誕生するなんて。
最初にそのニュースを聞いた時、正直な話、耳を疑いました。
偉大すぎる初代、あの江崎英治さんが残した功績があまりにも大きすぎて、その名前を継ぐなんて想像もできなかったからです。
でも、2025年4月27日、両国国技館。
あの日、確かに彼はリングに降り立ちました。
そして、私たちの心を鷲掴みにしたのです。
これは、単なる「二代目」ではありません。
私たちの記憶の中で、そして今もなお多くのレスラーに影響を与え続けるあの“ハヤブサ”が、形を変えて、この令和の時代に蘇った。
私はそう感じずにはいられませんでした。
この記事では、今、最も注目を集めている二代目ハヤブサについて、皆さんが気になっているであろうあれこれを、プロレスを愛する一人のブロガーとして、心を込めて徹底的に掘り下げていきたいと思います。
戦績、噂される正体、そして何よりも私たちファンにとって、初代ハヤブサがどんな存在だったのか、そして二代目登場に対するファンの生の声まで。
一緒に、この不死鳥の物語を追体験していきましょう。
お楽しみは、これからだ!
2代目ハヤブサ復活の軌跡! その驚異の戦績
2代目ハヤブサがリングに上がってから、まだ日は浅いですが、そのインパクトと残している結果は計り知れません。
デビュー戦から間もなく、立て続けに重要な試合が組まれ、その全てで勝利を収めているんです。
まず、彼のプロレスラーとしての新たな第一歩となったのが、2025年4月27日に両国国技館で行われた「ルチャフェススペシャル」での田中将斗選手とのシングルマッチでした。
田中選手といえば、FMWの生き残りであり、初代ハヤブサとも数々の激闘を繰り広げた強敵中の強敵です。
その田中選手が、「FMWの選手は少なくなってきている。その中でハヤブサが復活するなら相手は僕しかいない」と並々ならぬ思いを語っていたほど。
まさに因縁の相手であり、最高の舞台でのデビュー戦でしたね。
試合が始まると、なんと2代目はゴングを待たずに、ガウンを着たまま奇襲のドロップキックを放ったんです。
これには、会場全体が「おおっ!」とどよめきました。
そのまま場外に落ちた田中選手に向かって、ロープを開脚しながら飛び越え、これまたガウンを着たままトペ・コンヒーロを発射!
この一連の動き、どこかで見たと思ったら、初代ハヤブサが第1回スーパーJカップで獣神サンダー・ライガー選手相手に見せた、あの度肝を抜いた奇襲と全く同じだったんです。
もう、この時点で鳥肌ものでしたね。
その後も、リング内ではスワンダイブ式セントーン・アトミコやその場飛びでのウラカン・ラナ、ケブラーダ、ブファドーラ、ニールキックなど、まるで初代の動きが憑依したかのような、美しく華麗な空中殺法を次々と繰り出していきました。
見ているこっちは、思わず息を飲むような、そして涙がこみ上げてくるような、そんな感覚でした。
田中選手もさすがで、堅実な足攻めで対抗したり、最近は見せていなかったダイヤモンドダストを披露したりと、この特別な試合への思い入れが伝わってきましたね。
ハヤブサ選手がファルコンアローを決めれば、田中選手もすぐにスライディングDで反撃するという、夢のような攻防が繰り広げられました。
そして、試合のクライマックス。
ハヤブサ選手はタイガードライバー’91からファルコンアロー、そして最後は初代の必殺技でもあるコーナー最上段からのファイヤーバード・スプラッシュを完璧に決め、3カウントを奪ったのです。
デビュー戦を強敵・田中将斗選手から、それも代名詞であるファイヤーバード・スプラッシュで勝利する。
これ以上ない、最高のスタートでした。
この試合で勝利を収めた後、二代目は「お楽しみは、これからだ!」とコメントを残しました。
この言葉も、初代ハヤブサの決めゼリフとして、私たちファンの心に深く刻まれているものです。
まさに、伝説が始まった、そんな瞬間でした。
続く2戦目は、5月3日に新木場1stRINGで行われた朱鷺裕基選手とのシングルマッチでした。
ここでも2代目は、大歓声に包まれて軽快にリングイン。
試合が始まるとすぐに、スワンダイブ式のフェースクラッシャーで朱鷺選手を場外に落とし、助走をつけてそのままトペ・コンヒーロを発射するという、これもまた初代を彷彿とさせるムーブで流れを引き寄せました。
わずか5分47秒。
最後はタイガードライバーから、こちらも初代の得意技である火の鳥スプラッシュ(これもファイヤーバード・スプラッシュのことですね)でピンフォール勝ち。
まさに圧巻のパフォーマンスで、2連勝をマークしました。
そして3戦目。
5月7日、神奈川・富士通スタジアム川崎、旧川崎球場の跡地で行われた新生ゼロワンのビッグマッチ「川崎伝説2025」でのタッグマッチです。
この会場は、初代ハヤブサにとって非常に思い入れの深い場所でした。
1995年5月5日のFMW川崎球場大会では、5万8250人という大観衆の前で、大仁田厚選手の引退試合の相手を務めています。
そんな特別な場所に、復活したハヤブサ選手が舞い降りたのです。
しかも、この試合でタッグを組んだのは、初代ハヤブサが全日本プロレスでアジアタッグ王座をともに巻いた盟友、新崎人生選手でした。
会場でマンモス佐々木選手から「ハヤブサのパートナー、Xは誰や!」と問いかけられた時に、初代の入場曲が鳴り響き、人生選手が登場した瞬間、会場は割れんばかりの大歓声に包まれたそうです。
初代を知るファンにとって、このタッグ復活は感涙ものですよね。
対戦相手は、なんとデビュー戦の相手だった田中将斗選手と、初代ハヤブサが怪我をしてしまった時の最後の対戦相手であるマンモス佐々木選手のタッグ。
これもまた、初代との深い縁を感じさせるカードです。
試合では、ファルコンアロー、ファイヤーバードスプラッシュ、そしてフェニックススプラッシュといった、初代の代名詞ともいえる不死鳥殺法が次々と炸裂しました。
特に、初代の引退試合の相手だったマンモス佐々木選手にかつてのフィニッシュ技であるDフェニックスを決めたというのは、歴史を感じさせる場面でしたね。
そして、最後は新技である「Hサンダー」(変型エメラルドフロウジョン)でマンモス佐々木選手から3カウントを奪い、勝利!
デビューから無傷の3連勝(または4戦全勝という情報もソースにありますね、いずれにしても全勝です)を飾りました。
試合後、マンモス佐々木選手や新崎人生選手からのマイクを受け、ハヤブサ選手は再び力強く「お楽しみは、これからだ!」と絶叫しました。
その姿に、多くのファンが歓声と拍手を送ったといいます。
この驚異的なスタートダッシュだけでなく、復活したハヤブサ選手は、ゼロワンの真夏の祭典「火祭り」への参戦を野望として抱いているという情報もあります。
「火祭り」はゼロワン創設者である故・橋本真也さんが立ち上げたシングルのリーグ戦で、多くの実力者が名を連ねる伝統ある大会です。
FMWの象徴だった初代ハヤブサとは違う、新たなハヤブサ像を伝統あるゼロワンの舞台でつくり上げていく。
その覚悟の表れだと感じました。
まだ始まったばかりの2代目ハヤブサのキャリアですが、デビューから破竹の勢いで勝利を重ね、そのパフォーマンスは初代を彷彿とさせるものばかりです。
あの華麗な空中殺法は、令和の時代でも私たちの心を熱くさせてくれます。
もちろん、これからさらに大きなプレッシャーや困難に直面することもあるでしょう。
ですが、「お楽しみは、これからだ!」という言葉通り、この先、彼がどんな戦いを見せてくれるのか、どんな歴史を刻んでいくのか、期待に胸が膨らむばかりです。
2代目ハヤブサの正体は?噂は本当か? めんたい☆キッド説を検証!
さて、2代目ハヤブサの話題で、プロレスファンの間で最も盛り上がっていることの一つが、「一体、中の人は誰なんだ?」ということですよね。
試合を見た多くのファンが、その動きや体格から、誰なのかとソワソワしている様子が伝わってきます。
ゼロワンの神尊仁社長によると、二代目ハヤブサは元祖ハヤブサへの強い尊敬や憧れでプロレスを始めた、プロレスファンからレスラーになった青年とのこと。
抜群の運動神経を誇り、空中殺法が大得意だとも言及されています。
しかし、これ以上の詳細については語られていないため、現時点では彼の正体は公式には明らかになっていません。
ファンの中では、鷹木選手やNOAHのOZAWA選手、かつてゴールデンスターとして知られた飯伏選手など、様々な名前が予想として挙がっていますが、どれも確証はありません。
写真で見た限りでは、噂されていた某団体の選手とは違うようだという意見もあります。
全く未知の選手をスカウトしてきたのだろうか、という声もあり、ますますミステリーは深まるばかりです。
そんな中で、一部で「正体はめんたい☆キッドではないか?」という噂が囁かれているんです。
めんたい☆キッド選手といえば、福岡を拠点とする九州プロレスの覆面レスラーです。
派手な演出とアクロバティックな技で絶大な人気を誇る選手ですね。
彼のプロフィールを見てみると、初代タイガーマスクや獣神サンダー・ライガー、ウルティモ・ドラゴンに憧れてプロレスラーを志したとあります。
これは、空中殺法を得意とするハヤブサ選手との共通点として非常に大きいですよね。
学生プロレスを経て、プロレスラーになるためにメキシコへ渡り、闘龍門の12期生として入門、メキシコでデビューしています。
初代ハヤブサも、プロレスラーとして大成する前にメキシコに武者修行に出て、マスクマンに変身し、空中殺法に磨きをかけていますから、この点でも共通点があります。
そして、めんたい☆キッド選手の得意技の中には、「めんたいバスター」という技があります。
これは、なんと初代ハヤブサの「ファルコンアロー」と同型の技なんです。
ファルコンアローは、ブレーンバスターの体勢から相手を抱え上げ、ジャンピングボムのように前方に落とす技で、小橋建太選手のオレンジクラッシュを参考に編み出された初代ハヤブサの得意技の一つです。
同じ技を使っているというのは、正体説の根拠としてはかなり有力に見えます。
さらに、めんたい☆キッド選手は、2025年5月11日の試合を持って22年間のプロレス人生に幕を下ろすことを決断したと発表しています。
つまり、2代目ハヤブサがデビューした時期と、めんたい☆キッド選手が引退を発表した時期が近いんです。
引退するタイミングで、新たなマスクを被って活躍するという可能性。
これも噂を後押しする要因の一つかもしれません。
めんたい☆キッド選手は、九州プロレスでエースとして活躍し、九州プロレス王座には第4代と第13代の二度戴冠しており、最多防衛記録も保持しています。
また、タッグ王座も二度戴冠し、トーナメント優勝も複数回経験するなど、確かな実力と実績のある選手です。
年齢も2025年5月現在で47歳。
30代前半というゼロワン社長のコメントとは少しずれますが、マスクマンなので年齢は不詳と考えることもできます。
しかし、あくまでこれらは共通点や状況証拠に過ぎません。
めんたい☆キッド選手本人が2代目ハヤブサであるという公式発表は一切ありませんし、ソースにもそのような記載はありません。
プロレス界では、選手の正体について様々な憶測が飛び交うのはよくあることです。
マスクマンである以上、正体は最大のミステリーであり、ファンはその謎を楽しみにしている部分もあります。
今回の2代目ハヤブサの場合、その動きやムーブがあまりに初代に酷似しているため、一体誰がこれほどまでに再現できるのか、という驚きや関心から、正体探しが過熱しているのだと思います。
ゼロワン社長が「プロレスファンからレスラーになった青年」と言っている点も気になりますね。
めんたい☆キッド選手は学生プロレス出身ですが、大学卒業後にプロレスラーになるためにメキシコに渡っています。
どちらの経歴も当てはまるように見えます。
また、「日本語達者みたいだから日本人だろう」というファンの声もあり、めんたい☆キッド選手も日本人である点は一致しています。
正体が誰であれ、これだけの高いレベルで初代ハヤブサの動きを再現し、観客を魅了できる選手は、相当なポテンシャルとキャリアを持っていることは間違いないでしょう。
噂の真偽はわかりませんが、めんたい☆キッド選手にしろ、そうでないにしろ、2代目ハヤブサというマスクの下にいる選手が、これからどんな選手なのか、どんな成長を見せてくれるのか、想像するだけでワクワクしますね。
もはや、中の人が誰かということよりも、リングで輝く「ハヤブサ」という存在そのものが重要なのかもしれません。
伝説の不死鳥、初代ハヤブサ
2代目ハヤブサについて語る上で、避けては通れないのが、偉大なる先代、初代ハヤブサこと江崎英治さんの存在です。
彼の人生とプロレスラーとしての軌跡は、私たちファンにとって、まるで漫画の主人公のように劇的で、そして深く心に刻まれています。
江崎英治さんは、1968年11月29日、熊本県八代市で生まれました。
実家は旅館業を営んでいたそうです。
大学でプロレス研究会に所属し、そこでプロレスの面白さに目覚めた彼は、大学卒業後、就職の内定を得ていたにも関わらず、友人の入門テストについて行く形でFMWのテストを受け、合格してしまいます。
お父さんは驚いたでしょうね、長男として旅館を継ぐものだと思っていたでしょうし、弟さんの方が体が大きくてケンカも強かったのに、プロレスの世界を選んだのですから。
1991年5月5日に本名でデビューしますが、当初は怪我人の代役としての出場が多く、鳴かず飛ばずの日々が続きました。
FMWが球場でビッグマッチを行うようになっても、彼の試合は全て第1試合。
3年間、全く試合の格が上がらないという苦しい時期を経験しています。
そんな彼の人生が大きく変わったのが、1993年夏からのメキシコ武者修行でした。
ここで彼はマスクマンに変身し、「ハヤブサ」と名乗るようになります。
リングネームは、当時世界最速だったジェットコースターに由来しているそうです。
しかし、メキシコに行っても試合はほとんど組まれず、8ヶ月でわずか10試合ほど。
ギャラがタコスだったこともあったとか。
苦労の絶えない海外生活でした。
そんな彼に転機が訪れたのは、1994年4月、新日本プロレスが主催するジュニアヘビー級レスラーの祭典「SUPER J-CUP」への出場が決まったことでした。
もともと他の選手が出場予定だったところ、彼の飛び技の潜在能力を高く評価していた記者たちの声を受けて、大仁田厚さんが彼の出場を決めたといいます。
相手は、ジュニアヘビー級の第一人者である獣神サンダー・ライガー選手。
メキシコでこの話を聞いたハヤブサ選手は、当初は自信がないと断ったものの、会社の決定だからと強引に出場が決まりました。
初めて乗るビジネスクラスの飛行機、高級ホテル、新日本の道場での食事。
全てが未知の世界で、大きなプレッシャーを感じていたそうです。
そして迎えたライガー戦。
ハヤブサ選手は、ゴングが鳴る前に奇襲のドロップキックを放ちました。
もう、破れかぶれだったといいます。
そして、ガウンを脱ぐ間も惜しいとばかりに、場外のライガー選手めがけて飛んだのです。
それは、ハヤブサ選手自身、それまで試し打ちすらしたことがなかったという、ロープ最上段を越えてのトペ・コン・ヒーロでした。
あの瞬間、両国国技館に起こったどよめきと、それに続くざわめきは、今でも多くのファンの心に残っています。
赤いガウンが翻る姿は、まさに赤いほうき星がライガー選手に直撃したかのようだったと語るファンもいるほどです。
試合はライガー選手の前に完敗でしたが、不格好ながらもライガー選手が開発したシューティングスタープレスを見舞うなど、最後まで全力を振り絞ったハヤブサ選手には、惜しみない拍手が送られました。
それは紛れもなく、新ヒーロー誕生の瞬間でした。
スーパーJカップでの活躍で一躍注目を浴びたハヤブサ選手は、再びメキシコに戻り、空中殺法にさらに磨きをかけます。
ウルティモ・ドラゴンの協力も得て、高飛び込み練習用のマットで1日最低2時間は飛び技の練習にあてたそうです。
その結果、垂直跳びの高さはどんどん更新され、不体裁だったシューティングスタープレスも完璧にこなせるようになりました。
そして、彼の代名詞となるいくつかの大技を習得します。
リング内を向いてトップロープから前方に450度回転して飛び込むボディプレス、ファイヤーバード・スプラッシュ。
これは俗に「450°スプラッシュ」と呼ばれる技で、彼の代表的なフィニッシャーとなりました。
また、ムーンサルトの体勢から後方に体をひねり、1回転して体の前面を相手に浴びせる、難易度Eとされる超高度な技、フェニックス・スプラッシュも完成させました。
これは、かつて初代タイガーマスクが考案しながらリングでは披露しなかった幻の技で、獣神サンダー・ライガー選手も練習していた技でした。
メキシコでこの技を初めて披露した際、ミル・マスカラス選手の弟であるドス・カラス選手が絶賛したといいます。
ゴールデンスター・飯伏幸太選手も、ハヤブサ選手の飛び技の美しさを絶賛し、フェニックススプラッシュの創始者として敬意を表しています。
技の見た目の美しさだけでなく、空中で狙ったところに体重を移行させるのが極めて難しい技だとも語っています。
ファルコンアローも彼の得意技でした。
しかし、ハヤブサ選手が今も伝説として語り継がれるのは、難しい空中殺法ができたからだけではありません。
1995年5月5日、川崎球場での大仁田厚選手の引退試合の相手を務めた後、新生FMWのエースとなった彼を待ち受けていたのは、厳しい現実でした。
次のシリーズの開幕戦、観客はわずか10人程度。
最終的な観客も400人ほどで、大仁田さんというカリスマを失った団体の苦境を目の当たりにします。
それでもハヤブサ選手は、少ない観客の前でも手を抜かず、危険度の高い場外への三角飛びのケブラーダを含む、文字通り空中殺法を全開で披露しました。
周りに記者もカメラマンもいない、テレビ中継もない。
ただ、そこに駆け付けてくれたファンのためだけに、彼は飛んでいたのです。
その姿は、まさに「胸いっぱいのプロレス」という新生FMWのスローガンを体現していました。
爽やかに全力を尽くす姿勢は徐々に支持を集め、週刊プロレスの人気投票では武藤敬司選手、三沢光晴選手に次ぐ3位にランクインするなど、メジャーのトップ選手に迫る人気を得ました。
CMに出演したり、人気バンドのボーカルがファンだったりと、プロレス界の枠を超えた存在になっていきます。
しかし、苦悩もありました。
1996年末に大仁田さんが復帰し、団体の方向性を見失いかけた時期もありました。
そんな中、三沢光晴選手と会い、小橋建太選手との対戦を通して、「一生懸命やるしかないんだ」という気持ちを新たにします。
何事も諦めず、前を向き続ける彼の決め台詞は「お楽しみは、これからだ!」。
この言葉は、彼の不屈の精神を表すものとなりました。
飛び技による度重なる怪我にも見舞われますが、「ハヤブサは飛ばなきゃ、ハヤブサじゃない」と、自らの胸にハヤブサのタトゥーを入れるほど、プロレスに、ハヤブサという存在に全てを捧げていました。
そして、2001年10月22日。
試合中、セカンドロープからの技に失敗し、頸椎を損傷。
「首から下は一生動かない」と宣告されるほどの重傷でした。
最初は眼球しか動かせないという絶望的な状況の中、彼は自らが命をかけていたFMWの倒産というさらなる逆境にも見舞われます。
絶望から飛び降り自殺を考えますが、体が動かずそれすらできない。
看護師さんや関係者への不満や罵声が多くなるほど、精神的にも追い詰められていました。
しかし、首をようやく下に向けられるようになった時、胸に入れたハヤブサのタトゥーが見えました。
その瞬間、心に電流が走ったといいます。
「そうだ。俺はハヤブサなんだ!」。
この思いを胸に、彼は驚異的な回復力を見せます。
入院から4ヶ月後には上体が起こせるようになり、数日後には補助ありながら両足で立つことができました。
盟友ミスター雁之助選手が旗揚げした新団体WMFの開会宣言では、車椅子姿ながらも介添えを受けて両足で立ち上がり、「お楽しみは、これからだ!」と叫びました。
2013年の小橋建太選手の引退試合では、杖をつきながら自力で歩いて登場し、開会宣言を担当。
2019年の復帰を目標にリハビリを続けていたとも伝えられています。
「お前、ハヤブサだろ?って。ハヤブサだったら、ここは頑張るだろ?皆の期待に応えるだろ?って……」。
ハヤブサという存在が、江崎英治という個人の人格を引っ張っていったと語る盟友もいます。
プロレスラーとして、一人の人間として、壮絶な生き様を見せてくれた江崎英治さんでしたが、リング復帰を目前にしていた2016年3月3日、くも膜下出血のため、わずか47歳という若さで急逝してしまいました。
前日まで健康に異常は見られなかったといいます。
故郷・熊本での密葬の祭壇には、花でフェニックスの両翼が描かれ、その中央にはマスク姿の遺影が飾られていたそうです。
早すぎる死は、多くのファンに衝撃と悲しみを与えました。
もし大怪我をしていなければ、もしFMW以外の団体でデビューしていたら、もしメジャーに移籍していたら…多くのファンが「たられば」を想像してしまうほど、彼は可能性に満ちたレスラーでした。
インディー団体という制約の中で、そして度重なる怪我や逆境の中で、それでも「ハヤブサ」として全力を尽くし、ファンの心に生き続けた伝説のレスラー。
それが、私たちの愛した初代ハヤブサです。
彼のプロレスに賭けた真っ直ぐで純粋な思いがあったからこそ、今もその飛翔が私たちの心に息づいているのだと思います。
そして、その偉大な名前と魂を、2代目が継承しようとしている。
これは、初代への深い愛情と敬意の表れであり、同時に計り知れない重圧でもあります。
伝説の続きを、私たちは見ることができるのでしょうか。
2代目ハヤブサに沸騰するファンの声
2代目ハヤブサの登場は、私たちプロレスファンの間で大きな話題となりました。
正直、発表された当初は、期待と同じくらい「大丈夫かな…?」という不安も抱えていたファンは多かったと思います。
それほど、初代ハヤブサという存在は、私たちの思い出の中で神格化されている部分があったからです。
でも、蓋を開けてみれば、そのデビュー戦を見た多くのファンから、絶賛の声が相次いだんです。
「試合前は誰がやるんだろうなとか気になってたんだけど、ハヤブサそのものすぎて、そんな思いは吹っ飛んだ」という声や、「でも…そこにいたのは間違いなくハヤブサ。正体は誰だとか、そんなの野暮だよね。彼はハヤブサだよ」という、まさに核心を突いたコメント。
「どんだけ出来るんだ?的な上から目線で見てたところがあったことを猛省したい。彼が誰であるかは問題ではなく、紛れもなく『ハヤブサ』だった。試合中も涙が止まらなかった。『ハヤブサ』が帰ってきた喜びとともにあの言葉を思い出す。『お楽しみはこれからだ』、その言葉すら生かし続けてくれるのだ」と、涙ながらに語るファンもいました。
デビュー戦での奇襲ドロップキックからのガウンを着たままのトペ・コンヒーロを見たファンは、一様に「鳥肌が立った」「初代の生き写しかと思った」「涙出たよ」と感動を伝えています。
まるで天国から不死鳥が舞い戻ったような光景だと表現する人もいました。
試合を見たほとんどのファンが、「二代目ハヤブサは元祖ハヤブサのまるで生き写し」「ハヤブサの名前に負けないように相当の努力をしたんだろう」「二代目ハヤブサが誰?なんて、もはや野暮な質問だ」と感じたようです。
それだけ、彼のムーブや雰囲気が初代に酷似していて、私たちファンの抱いていたイメージや思い出を裏切らなかったということでしょう。
技の再現度に対する驚きの声も多数あります。
ファイヤーバードスプラッシュやフェニックススプラッシュといった、初代の代名詞である空中殺法をしっかりと決め、「先代のは他の選手の450°スプラッシュとは別物と言えるほど回転にキレがあった」「他の技含めて同じ技の使い手は沢山いてもなんであんなに差別化出来たんだろうか」と、初代の技の凄さを改めて語る声とともに、二代目の技への期待が語られています。
特に、スーパーJカップでのライガー戦で見せた奇襲攻撃からの流れを再現したことには、「あの流れですね、いやぁ、それは熱い!」「これを考えたプロデューサーも凄いが、再現した二代目本人も素晴らしい!」と興奮冷めやらぬコメントが寄せられています。
彼の「所作振る舞いも含めて、ハヤブサは動きが流れるように美しかった」という初代の特徴を、二代目もきちんと理解し、リスペクトしていることが十分感じられた、という深い洞察をするファンもいます。
一方で、正体が誰かということへの興味ももちろんあります。
「野暮だけど中の人誰なんだろね」「全くの新人じゃないだろうし日本語達者みたいだから日本人だろうけど」「一体正体は誰なんだろう…」と、マスクの下の素顔を想像する声もあります。
しかし、同時に多くのファンが「正体がどうとか言うことか野暮な空間だった」「もはや野暮な質問だ」と、正体探しよりも「ハヤブサが復活した」という事実、そしてリング上でのパフォーマンスそのものを楽しもうという姿勢を見せています。
これは、初代が怪我からの長いリハビリ生活を経て、復帰を目標にしながらも志半ばで亡くなってしまったという悲しい歴史を知っているからこそ、今、「ハヤブサ」がリングに立っているということ自体に大きな意味を感じているからだと思います。
新崎人生選手やマンモス佐々木選手といった、初代ハヤブサと深い縁のある選手たちが、2代目ハヤブサの登場を心から喜び、彼を「ハヤブサ」として認めている様子を見た多くのファンが、「人生さんの言葉、マンモス佐々木さんの言葉、全員が『ハヤブサ』と言う唯一無二の存在を心から抱きしめているようで通勤帰りの電車内だけど涙出すぎる」「マンモス佐々木さんの言葉に感動した」と、さらに感動を深めていました。
二代目であることのプレッシャーに対する理解と労いも、多くのファンが口にしています。
「これだけ大きな初代のイメージがあるハヤブサを二代目として継承するプレッシャーは半端なかったと思う」「本人からしたらすごく大きな名前がプレッシャーだったと思う」「相当なプレッシャーでしょう」といった声があり、その中で初代の動きを再現し、ファンを感動させた2代目の選手に対する称賛と応援の気持ちが伝わってきます。
もちろん、「足りないところはある」と指摘する声もありますが、多くのファンは「江崎英治のハヤブサではなく、2代目として成長していく姿が楽しみな選手だと感じた」と、今後の成長に期待を寄せています。
初代のコピーで終わるのではなく、「そこで新たなハヤブサというものを見せていけば、もっと倒すのが厳しい人間になっていくと思う」「オリジナルのハヤブサをどんどん創っていけばいいと思うし、それを出せばどんどん強い人間になっていくと思う」と、2代目ならではの色を出していくことへの期待も高いです。
そして、忘れてはならないのが、初代ハヤブサに対するファンからの変わらぬ深い愛情です。
彼の早すぎる死を惜しむ声、「たられば」を想像してしまうという声、「不屈のレスラーとして今でも強く記憶に残ってる」「生き様が凄まじくカッコよくて強烈で本当に漫画の主人公のような人でした」と、彼のプロレスラーとしての生き様や残した功績を称える声が多数寄せられています。
2代目ハヤブサの登場は、単に新しいレスラーが現れたというだけでなく、初代ハヤブサが私たちの心の中にどれほど深く、そして鮮やかに生き続けているのかを改めて感じさせてくれました。
ファンは、2代目ハヤブサに、初代の意志を継ぎ、怪我に気をつけながら、そして自らの色を出しながら、さらに大きな存在へと羽ばたいていってほしいと願っています。
私たちファンは、「お楽しみは、これからだ!」という言葉を胸に、令和に舞い降りた不死鳥の物語を、これからも熱い声援で見守り続けていくでしょう。
まとめ:2代目ハヤブサ(プロレス)正体は誰?噂の「めんたい☆キッド」は否定
いかがでしたでしょうか。
2代目ハヤブサの登場は、私たち長年のプロレスファンにとって、喜びと感動、そして少しの不安が入り混じった、まさに特別な出来事でした。
その戦績は華々しく、特に初代を彷彿とさせる動きは多くのファンを熱狂させています。
正体については様々な噂がありますが、それ以上に「ハヤブサ」という存在がリングに立っていること自体に大きな価値があると感じているファンが多いようです。
そして、この記事を通して改めて、初代ハヤブサ、江崎英治さんがどれほど偉大で、どれほど多くの人々に愛され、影響を与えたのかを感じていただけたなら嬉しいです。
彼の不屈の精神と、プロレスに全てを捧げた生き様は、決して色褪せることはありません。
2代目ハヤブサが、これからどんな道を歩んでいくのか。
初代の残した光を受け継ぎながら、彼自身の輝きを増していくのか。
私たちファンは、彼の一挙手一投足から目が離せません。
まさに、「お楽しみは、これからだ!」。
私も、プロレスを愛する皆さんと一緒に、熱く、そして心を込めて、2代目ハヤブサの物語を見守っていきたいと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
また、プロレスの話をしましょう!