越前和紙グローブについて
福井県越前市で生産されている伝統的な和紙である「越前和紙」を使ったグローブがナニコレ珍百景で紹介されました。
越前和紙グローブは、スポーツ用品メーカーのミズノが、越前和紙のメーカーや職人たちと協力して開発した、革新的なコンセプトグラブです。
越前和紙グローブ(ナニコレ珍百景)とは?
ミズノは、研究開発の一環として、従来とは異なる素材を用いたスポーツ用品の製作に挑戦しており、その中で、野球グラブを和紙で作るというプロジェクトが立ち上がりました。 野球グラブは、長年素材や形状の変化が少なく、製造工程も複雑であるため、和紙のような新しい素材で製作することは、大きな挑戦でした。
■素材開発における課題と工夫
越前和紙はしなやかさを持ちながらも、天然皮革と比べると強度が劣ります。そのため、グラブ製作の工程において、縫製や紐通しなど、様々な困難に直面しました。 しかし、越前和紙の職人、ミズノのグラブ開発メンバー、そして製造スタッフが、それぞれの経験や技術を駆使し、互いに協力することで、これらの課題を克服しました。 例えば、清水紙工株式会社は、こんにゃく糊を塗布することで、和紙の強度を高める加工技術を提供しました。
越前和紙グローブの特徴
■形状
越前和紙グローブは、従来の野球グラブと同様の製造工程を経て作られています。 その結果、紙とは思えないほど立体的な造形美を実現し、紐や縫い目などの複雑な形状も忠実に再現されています。
■耐久性と実用性
様々な加工技術や厚みの調整により、越前和紙グローブは、従来の紙の概念を超えた強度と使い心地を実現しました。 ミズノのグラブ職人も、その仕上がりの高さに納得しています。
■パーツごとの素材選定
グラブの各パーツには、用途に合わせて最適な越前和紙の技術が採用されています。 例えば、ベース部分には、株式会社滝製紙所が、質感に合う和紙を提供しました。 紙紐部分には、山伝製紙株式会社が、それぞれの和紙パーツを繋ぐための和紙紐を製作しました。 また、ブランドマークには、株式会社杉原商店の凸和紙が採用されました。 裏打ち部分には、丸山表具店が、和紙を貼り合わせて補強する技術を提供しました。
越前和紙グローブの意義と今後の展望
越前和紙グローブは、あくまでもコンセプトグラブであるため、現状では従来の野球グラブと同等の使用は難しい面もあります。 しかし、このプロジェクトを通じて、野球グラブの素材や形状に対する固定概念を打ち破り、革新の可能性を見出すことができました。 今後、さらなる改良やアイデアを加えることで、十分にグラブとしての機能を果たせるようになると期待されています。
ミズノは、今回の経験を活かし、新素材の発掘や革新的なグラブ形状の開発など、固定概念にとらわれない挑戦を続けていく予定です。 また、多くの人々にミズノのイノベーションを伝えていくことを目指しています。
越前和紙グローブ(ナニコレ珍百景)どこに売ってる?販売店は?
ミズノ株式会社と清水紙工株式会社が共同で開発した越前和紙の「和紙グラブ」という野球グラブはどこに売ってるのかというと、小売り販売は未定とのこと。
下記のような一般的な販売店では取り扱いはないようです。
ホームセンター(コメリ、カインズ、コーナンなど)
スーパー(イオン、イトーヨーカドー、アピタなど)
量販店(ドン・キホーテなど)
デパート(西武、東武、松坂屋、大丸、高島屋など)
スポーツ用品店(スポーツゼビオ、アルペンなど)
越前和紙グローブ(ナニコレ珍百景)|越前和紙について
越前和紙は、福井県越前市でつくられてきた和紙で、岐阜県の美濃和紙、高知県の土佐和紙とともに「日本三大和紙」のひとつに数えられています。 その起源は明確ではありませんが、継体天皇がまだ男大迹皇子として越前にいた頃(507年以前)に川上御前という女性が村人に紙漉きを伝えたという伝説が残っています。 奈良の正倉院に所蔵されている古文書にも、4~5世紀頃にすでに越前和紙が漉かれていたという記述があり、約1500年前には存在していたと考えられています。
越前和紙の特徴
越前和紙の特徴は、生成色の美しさと強靭さにあります。 特に、天皇や将軍の意向が記された公文書に使われる「奉書紙」は最高級品とされ、他の地域で作られた奉書紙とは区別されていました。
越前和紙は種類も豊富で、襖紙や壁紙、紙幣や小切手などに使用される局紙、木版画用紙、色紙、短冊、封筒、便箋、はがき、名刺など、古くから様々な用途のものが作られてきました。
現代では、音響メーカーのスピーカー部品や宇宙滞在用被服の素材、ルーヴル美術館の収蔵品の修復など、幅広い分野で利用されています。
越前和紙の歴史
奈良時代には、仏教の布教のために主に写経用紙が漉かれていました。 その後、公家や武士によって紙が大量に消費されるようになると、「越前奉書紙」が漉かれるようになりました。 戦国時代から江戸時代にかけて、越前は最高品質の和紙の産地として幕府や藩から手厚い保護を受け、技術力や生産性を向上させていきました。
明治時代に入ると、西洋の機械製紙法が導入されたことで、手漉き和紙の職人は激減しました。 しかし、八代目岩野市兵衛が木版画用紙に活路を見出し、江戸時代の浮世絵版画で用いられていた越前奉書紙を研究して、より発色が良く丈夫な木版画用紙を発明しました。
越前和紙の新たな取り組み
現在では、宇宙滞在用被服の素材として、また、食材から作られる和紙など、新たな取り組みが始まっています。
越前和紙の里
福井県越前市にある「越前和紙の里」には、紙の神様を祀る「岡太神社・大瀧神社」があります。 また、江戸時代中期の紙漉き家屋を移築復元した「卯立の工芸館」、和紙の歴史を知ることができる「紙の文化博物館」、和紙漉き体験ができる「パピルス館」など、越前和紙の魅力を体感できる施設が点在しています。
越前和紙の未来
1500年の歴史を持つ越前和紙は、伝統を守りながらも、時代のニーズに合わせて進化を続けています。 今後も、新しい技術やアイデアを取り入れながら、世界中の人々に愛される和紙として、その歴史を紡いでいくことでしょう。