「銭ゲバ」とはどんな意味?
「銭ゲバ」「内ゲバ」など「ゲバ」の意味、語源、由来は何でしょうか?
銭ゲバの意味は?内ゲバの「ゲバ」の意味・由来は?
「銭ゲバ」「内ゲバ」などの「ゲバ」は、ドイツ語の Gewalt(ゲヴァルト) を略したもので、「暴力」を意味します。日本では、特に1960年代から70年代にかけて活発化した左翼学生運動に関する報道や評論の中で頻繁に使用されました。
当時の学生たちは、国家権力に対する実力闘争を「ゲバルト」と呼び、それを略して「ゲバ」と言うことが一般的でした。また、同じ思想を持つ党派内での暴力による抗争を「内ゲバ」と表現しました。
「ゲバルト」という言葉が日本で広まった背景には、明治時代からの伝統として、東京大学や京都大学などのエリート学生たちがドイツ語学習をステータスとして捉えていたことが挙げられます。当時の学生たちは、日常会話にドイツ語の単語を交ぜることで、ある種の優越感を感じていたと言われています。
「銭ゲバ」は漫画家ジョージ秋山の漫画のタイトルとして1970年に発表されて以降、「金のためなら何でもする人」を揶揄する表現として定着しました。
「ゲバ」という言葉は、学生運動の衰退と共に使われる頻度は減りましたが、「銭ゲバ」など一部の言葉は現代でも使われています。
しかし、これらの言葉は本来の意味とは異なり、お金に執着する人やケチな人を指す言葉として誤用されるケースも見られます。
「銭ゲバ」と「守銭奴」の意味の違い
「銭ゲバ」と「守銭奴」はどちらもお金に執着する人のことを指しますが、その意味合いには違いがあります。
- 「銭ゲバ」は、お金のためなら手段を選ばない、暴力的な行為も厭わない人のことを指します。
- 語源は、お金を意味する「銭」と、暴力行為を意味するドイツ語「Gewalt(ゲヴァルト)」を略した「ゲバ」を組み合わせた造語です。
- 1970年代の過激な学生運動が盛んだった時代に、漫画家ジョージ秋山が発表した漫画「銭ゲバ」 の主人公である蒲郡風太郎の生き様から、この言葉が定着しました。
- 風太郎は、貧困の中で育ち、お金のために殺人などの悪事を重ねてのし上がっていくというキャラクターでした。
- 「銭ゲバ」という言葉には、お金に対する強い執着だけでなく、手段を選ばないという攻撃的な意味合いが含まれています。
- 「守銭奴」は、お金を貯め込むことに執着し、お金を使うことを極端に嫌うケチな人のことを指します。
- 語源は、1668年にフランスの劇作家モリエールが書いた喜劇 「守銭奴」 からきています。
- この劇の主人公であるアルパゴンは、金銭欲に取り憑かれ、家族の幸せよりもお金を優先する守銭奴でした。
- 「守銭奴」という言葉には、お金を貯め込むことに執着するという消極的な意味合いが含まれており、「銭ゲバ」のような暴力性はありません。
このように、「銭ゲバ」と「守銭奴」はどちらもお金に執着するという点では共通していますが、「銭ゲバ」は手段を選ばない攻撃性、「守銭奴」はお金を使わない消極性 という点で異なります。
銭ゲバ|使い方・例文
「銭ゲバ」は、本来は「金のためなら暴力も辞さない人」を意味する言葉ですが、現在では、「お金に異常に執着する人」や「金儲けのためなら手段を選ばない人」を指す言葉として使われることが多いです。
誤用として、単に「ケチな人」という意味で使われる場合もありますが、本来の意味合いには「手段を選ばない」「強引」といったニュアンスが含まれていることを意識することが大切です。
以下は、「銭ゲバ」の例文です。
- 「彼は儲けのためなら違法行為も平気でする、まさに銭ゲバだ。」 (本来の意味に近い例文)
- 「あの社長は従業員の給料を削ってまで私腹を肥やす、典型的な銭ゲバだ。」 (「強引」「非道」といったニュアンスを含む例文)
- 「あいつは割り勘の時、いつも1円単位まで細かく計算する。本当に銭ゲバだな。」 (誤用に近い例文。ただし、「強引」「執着心が強い」といったニュアンスは含まれている)
例文からも分かるように、「銭ゲバ」という言葉はネガティブな意味で使われることがほとんどです。相手を傷つける可能性もあるため、使用には注意が必要です。
銭ゲバ|ジョージ秋山の漫画はどんな話?
ジョージ秋山による漫画「銭ゲバ」は、1970年代に「週刊少年サンデー」で連載された作品です。貧困のどん底から這い上がり、巨万の富と権力を手にした男、蒲郡風太郎の物語です。風太郎は金のためなら手段を選ばない、まさに「銭ゲバ」の名にふさわしい男ですが、その背景には、貧乏ゆえに母親を救えなかったという深いトラウマがあります。
風太郎は、生まれつき顔に醜い傷があり、周囲から「バケモノ」と蔑まれながら育ちました。 父親は酒乱で家庭を顧みず、母親は病気で倒れても満足な治療すら受けられず、風太郎の目の前で息絶えます。 風太郎にとって、母親は唯一の心の支えでした。その母親を貧乏ゆえに失ったことで、彼の心は完全に壊れてしまい、「この世の中は金がすべてだ!」という歪んだ価値観に支配されます。
この作品の魅力は、風太郎の強烈なキャラクターと、人間の欲望の暗部をえぐり出すストーリーにあります。
風太郎は、金を得るためには手段を選びません。 当たり屋、恐喝、殺人、裏切り…。 彼はあらゆる悪事を重ねて、大企業の社長の座を奪い、さらに政界へと進出します。 風太郎は金と権力を手に入れますが、彼の心は満たされず、孤独は深まるばかりです。
「銭ゲバ」は、単なる金持ちの悪事を描く物語ではありません。風太郎という一人の男を通して、お金と幸福の真の意味を問いかけています。
注目すべき点は、以下の通りです。
- 時代背景と社会風刺: 作品が発表された1970年代は、高度経済成長の影で、貧富の格差や公害問題など、様々な社会問題が噴出していました。風太郎の「銭ゲバ」ぶりは、当時の拝金主義的な風潮を風刺するものであり、現代社会にも通じる普遍的なテーマです。
- 心理描写の巧みさ: 風太郎は悪人ですが、彼を単純な悪者として描くだけではありません。 母親を失った少年時代のトラウマ、金と権力を手に入れても満たされない心の空虚さ… 風太郎の複雑な内面を巧みな心理描写で表現しています。 特に、風太郎の心の奥底に潜む「本当の自分」を象徴する、潰れた左目の描写は秀逸です。
- 読者に突きつける問い: 風太郎は最終的に自らの命を絶ちますが、彼の死は単なる破滅ではありません。風太郎の絶望を通して、「本当の幸福とは何か?」「金に支配された人生とは何か?」という、読者一人ひとりに突きつける問いかけが込められています。
「銭ゲバ」は、40年以上前に描かれた作品ですが、そのテーマは現代においても色あせることはありません。むしろ、格差社会や物質主義が進む現代において、ますますそのメッセージは重要性を増していると言えるでしょう。