長谷部茂利監督はJリーグ・アビスパ福岡を率い、クラブ初のタイトル獲得に導いた名将。
堅実な守備戦術を基盤に、選手個々の能力を最大限に引き出す手腕に長ける指導者・長谷部茂利監督の気になるプロフィールをまとめています。
長谷部茂利の成績・戦績
長谷部茂利監督の成績を、選手時代と指導者時代に分けてまとめます。
選手時代の成績
長谷部監督は、中央大学卒業後の1994年にヴェルディ川崎に入団し、プロとしてのキャリアをスタートさせました。 Jリーグでは、ヴェルディ川崎、川崎フロンターレ、ヴィッセル神戸、ジェフユナイテッド市原でプレーし、J1リーグ通算183試合出場6得点、旧JFLでは15試合出場6得点の成績を残しました。
上記以外にも、スーパーカップ1試合出場、J1参入決定戦2試合出場などの記録があります。
指導者時代の成績
長谷部監督は2003年に現役を引退後、指導者の道に進みます。 指導者としての主な経歴と成績は以下の通りです。
- ヴィッセル神戸: 2006年から2015年まで、スカウトやユース年代のコーチ、トップチームのコーチ・ヘッドコーチを歴任。
- ジェフユナイテッド千葉: 2016年にコーチに就任。 同年7月、関塚隆監督の解任に伴い、監督代行に就任しシーズン終了まで指揮を執りました。 2017年は再びコーチを務めました。
- 水戸ホーリーホック: 2018年から2019年まで監督を務めました。 2019年には、開幕から好調を維持し、最終節までJ1参入プレーオフ出場の可能性を残しました。
- アビスパ福岡: 2020年から2024年まで監督を務めました。
- 2020年:J2リーグで2位となり、J1昇格を達成。 これはクラブ史上初の12連勝を含む、中盤以降の躍進によるものでした。
- 2021年:J1リーグで8位。これは、J1におけるクラブ史上最高の成績です。
- 2023年:ルヴァンカップで優勝。これはクラブ史上初のタイトル獲得です。 J1リーグでは7位となり、天皇杯ではベスト4に進出。 J1リーグ、天皇杯共に、クラブ史上最高の成績を収めました。
長谷部監督は、アビスパ福岡で5シーズン指揮を執り、クラブの歴史に大きな功績を残しました。 2024年シーズンからは、川崎フロンターレの監督に就任することが発表されています。
長谷部茂利の戦術|堅守速攻
長谷部茂利監督は、堅守速攻をベースとしたリアリストなアプローチを特徴とする戦術家として知られています。その戦術は、以下の要素によって成り立っています。
堅固な守備組織の構築
長谷部監督の戦術の根幹を成すのは、強固な守備ブロックの構築です。これは、以下の要素によって実現されています。
- 組織的な守備: チーム全体で統率の取れた守備を行い、危険なスペースを消すことを重視しています。
- 激しいプレス: 特にサイドのミドルエリアでボールを奪い取ることを狙い、SBが積極的にプレスに参加します。
- ハイプレスとリトリートの使い分け: 状況に応じて、高い位置からのプレスと、自陣に引いて守備ブロックを形成するリトリートを使い分け、相手の攻撃を効果的に封じ込めます。
- 空中戦の強さ: セットプレーやロングボール対策として、CBには空中戦に強い選手を起用し、相手の攻撃を跳ね返します。
高速カウンターによる効率的な攻撃
堅固な守備からボールを奪取したら、素早く、効率的に攻撃に転じることを重視しています。
- シンプルで素早い攻撃: 前線の2トップにロングボールを供給し、高い位置で攻撃の起点を作ります。
- サイド攻撃: サイドからの攻撃を主軸とし、ペナルティエリア角付近からの逆足でのクロスや、サイドでの1対1突破など、多彩なパターンを持っています。
- ショートカウンター: ハイプレスでボールを奪った際には、迷わずゴールを目指し、ショートカウンターを仕掛けます。
現実的な状況判断と柔軟な対応
長谷部監督は、目の前の試合に勝利することにこだわり、理想よりも現実を重視した采配を行うことで知られています。
- ベストメンバー: 公式戦では常にベストメンバーで臨み、目の前の試合に勝つことだけに集中します。
- 可変システム: 状況に応じて、システムを柔軟に変更します。 例えば、大分トリニータ戦では、攻撃時と守備時で異なるシステムを採用し、勝利に貢献しました。
- 選手の特徴を生かす: チームに所属する選手の能力や特徴を最大限に引き出すために、戦術やシステムを構築します。
長谷部茂利監督の堅守速攻のメリットと課題
メリット
- 安定した戦績: 堅実な守備をベースとすることで、失点を抑え、安定した戦績を残すことができます。
- 少ない戦力でも戦える: 個々の能力が劣っていても、組織的な守備と効率的な攻撃によって、上位チームにも対抗することができます。
- 再現性の高さ: 複雑な戦術ではなく、シンプルな戦術を徹底することで、再現性の高い試合運びを実現できます。
課題
- 攻撃のバリエーション: 攻撃パターンが限定的になりやすく、相手に対策されると得点力が低下する可能性があります。
- ボール保持時の課題: ポジションサッカーを得意とするチームに対して、ボールを保持される時間が長くなると、守備の負担が増大し、失点のリスクが高まります。
- 個の力への依存: カウンター攻撃の成功率は、FWの個人能力に依存する部分があり、決定力不足に陥ると、勝利が難しくなります。
長谷部監督は、これらの課題を克服するために、常に戦術の進化を追求しています。 今後、川崎フロンターレでどのようなサッカーを見せてくれるのか、期待が高まります。
長谷部茂利の戦術|采配
** 状況判断能力と選手への信頼に基づく采配**
試合中の状況を的確に判断し、選手交代やシステム変更など、最適な采配を振るうことで知られています。
- ハーフタイム中に選手に可変システムのアイデアを伝え、選手が「できる」と答えたことで、そのシステムを採用したというエピソードからも、選手への信頼の厚さが伺えます。
- 選手の積極性や主体性を重視し、リスクを恐れずにチャレンジさせることで、チームの成長を促しています。
長谷部監督は、これらの特徴を活かし、アビスパ福岡をJ1に定着させ、クラブ初のタイトル獲得に導くなど、素晴らしい成績を収めてきました。 来シーズンからは、川崎フロンターレの監督に就任し、新たな挑戦が始まります。 彼の戦術が、川崎フロンターレでどのように進化するのか、注目が集まります。
長谷部監督の采配に対する評価
長谷部監督の采配は、選手や関係者から高く評価されています。
- 元日本代表FWの三浦知良選手は、長谷部監督を「クレバーで確かな技術のある選手、キャプテンシーも備わっていた」と評しています。
- アビスパ福岡の柳田伸明強化部長は、長谷部監督の「個性を生かしながら一体感をつくりだす」手腕を高く評価しています。
これらの評価は、長谷部監督が、選手からの信頼も厚い、優れた指導者であることを示しています。
長谷部茂利の戦術|チーム作り
長谷部監督は、選手一人ひとりの個性を尊重し、その能力を最大限に引き出すことを重視しています。
- 選手の特徴に合わせた起用や戦術を採用することで、チーム全体のパフォーマンス向上を目指しています。
- 練習で試したことのない可変システムを試合中に採用するなど、柔軟な発想と決断力も持ち合わせています。
- 選手とのコミュニケーションを大切にし、信頼関係を築くことで、チームに一体感を生み出しています。
長谷部茂利wikiプロフィール
名前:長谷部茂利
出身地:神奈川県横浜市栄区
生年月日:1971年4月23日
年齢:53歳
身長:173cm
体重:69kg
利き足:右足
現役時代ポジション:MF
出身高校:桐蔭学園高等学校
出身大学:中央大学
長谷部茂利の現役時代
長谷部茂利監督は、現役時代、Jリーグの名門クラブで活躍し、高い技術と戦術理解、そして、リーダーシップ qualities を備えたミッドフィールダーとして知られていました。
ヴェルディ川崎時代 (1994年 – 1997年)
- 中央大学卒業後、1994年にヴェルディ川崎に入団し、Jリーグデビューを果たしました。
- 当時のヴェルディ川崎は、ラモス瑠偉、ビスマルク、北澤豪など、日本代表クラスの選手が揃うスター軍団でした。
- その中でも、長谷部監督は多くの出場機会を得て、クレバーで確かな技術を持った選手として、チームに貢献しました。
- 当時のチームメイトであった武田氏によると、長谷部監督はチームで一番モテていたそうです。
- 三浦知良選手は、長谷部監督のことを「クレバーで確かな技術のある選手、キャプテンシーも備わっていた」と高く評価しています。
- しかし、1997年になると出場機会が減少したため、JFL所属(当時)の川崎フロンターレにレンタル移籍することになります。
川崎フロンターレ時代(1997年)
- 1997年、JFL所属の川崎フロンターレにレンタル移籍し、15試合で6得点を記録しました。
- 川崎フロンターレでの活躍は、後の監督就任に繋がっていきます。
ヴィッセル神戸時代(1998年 – 2000年)
- 1998年、ヴィッセル神戸に完全移籍し、背番号10 を与えられました。
- 神戸では、攻守にわたって中盤の要として活躍し、キャプテンとしてチームを牽引しました。
- 1999年セカンドステージでは、神戸のそれまでの最高成績となる7位に貢献しました。
ジェフユナイテッド市原時代(2001年 – 2003年)
- 2001年、ジェフユナイテッド市原に移籍しました。
- ここでも、若手の多かったチームをキャプテンとしてまとめ、チームを過去最高順位の年間3位に導くなど、中心選手として活躍しました。
- 2003年7月末に契約満了により退団し、現役を引退しました。
長谷部茂利監督は、どのチームにおいても、中心選手として活躍し、リーダーシップを発揮していました。 その経験は、指導者としての長谷部監督の礎となっていることは間違いありません。 特に、若手選手の多いチームをまとめ、高い成績を収めた経験は、指導者として、チームをまとめ、選手を育成する上で、大いに活かされていると考えられます。
まとめ:長谷部茂利wiki|戦術・成績は?現役時代は?川崎フロンターレ監督
- 堅守速攻: 堅実な守備をベースに、少ないチャンスを確実にものにする、効率的なサッカーを展開します。
- 状況に応じた柔軟性: 選手の能力や特徴、対戦相手や試合状況に応じて、システムや戦術を柔軟に変更することができます。可変システムを採用するなど、試合中の状況に応じた対応力も高く評価されています。
- 選手個々の能力を引き出す: 選手一人ひとりの個性を尊重し、その能力を最大限に引き出すチーム作りを行います。選手とのコミュニケーションを重視し、信頼関係を築くことでチームに一体感を生み出しています。
これらの特徴を活かし、長谷部監督はこれまで様々なクラブで成果を上げてきました。川崎フロンターレでは、どのようなチームを作り上げていくのか、今後の活躍に注目です。