大河ドラマ「光る君へ」で「まひろ(紫式部)」が越前に行くときに首から掛けてた俵型のものは何?
まひろが旅に出ることを彰子に報告したとき、彰子が旅に持っていくようにとまひろに与えたものは何なんでしょうか?
懸守?光る君へ(大河ドラマ)まひろが首から掛けてた俵型の巻物
大河ドラマ「光る君へ」でまひろ(紫式部)が越前に行くときに首から掛けてた俵型のものは、懸守(かけまもり)と呼ばれるものです。
懸守は、平安時代から見られ、婦女子が旅行など外出する際に頸から懸けて胸に垂らすお守りです。
- 当時は旅行することが今よりも大変で、道中の安全を祈願して首からかけていました。
- 主に高貴な身分の女性と子供が使っていたようです。
- 現代のお守り袋のような役割を果たしていました。
懸守の中身は?光る君へ(大河ドラマ)まひろが首から掛けてた俵型の巻物
懸守の中には、神仏の御守りを小さな袋に入れていました。 また、実用性を重視して、以下のようなものも入れられていました。
- 蚊取
- 薬剤
- 旅先で使う銭
- 神聖な鶴(後の千羽鶴の起源)
大阪の四天王寺には、国宝に指定されている懸守が7点あり、宝物館で見ることができます。 2018年にはX線CTスキャナーを用いた内部調査が行われ、中には以下のようなものが彫られていることが判明しました。
- 立った阿弥陀如来像
- 香炉
- 花を飾る華瓶
また、内部に使用されている材料は白檀だそうです。
光る君へ(大河ドラマ)|越前は紫式部(まひろ)ゆかりの地
紫式部は、世界最古の長編小説といわれる「源氏物語」の作者として有名ですが、生涯で一度だけ京都を離れて暮らしたことがあります。
それが、当時の越前国府があった武生(現在の越前市)です。 紫式部は、越前国司となった父、藤原為時に従って武生で暮らしました。
- 越前国は、律令制の中で最も等級の高い大国の一つでした。
- 武生は、古くからの寺や神社が立ち並ぶ、越前の政治・経済・文化の中心地として栄えていました。
紫式部が源氏物語の執筆にあたって、武生での経験は貴重なものだったようで、作品の中に武生の地名が登場します。
- 例えば、「源氏物語」に登場する玉鬘(たまかずら)は、乳母に伴われて京から筑紫へ下って美しく育ちますが、これは玉鬘を育てた乳母の夫が大宰少弐であったためです。
- 玉鬘が4歳から10歳くらいまでを過ごしたのは、大宰少弐の勤務地である大宰府政庁の周辺だったと考えられています。
また、「源氏物語」には、大宰府の役人と縁のある人物が複数登場します。 さらに、作中の貴族の生活を彩る唐物(舶来ブランド品)は、海外から都の貴族たちへ直接運ばれたのではなく、大宰府を経由してもたらされていました。
現在の福井県越前市には、紫式部を偲んで造られた紫式部公園があります。
- 公園内には寝殿造の庭園が再現され、紫式部が暮らした時代の四季折々の風情を感じることができます。
- 庭園には紫式部像があり、その視線をたどると、越前富士とも呼ばれる雄大な日野山を眺めることができます。 日野山は、紫式部が歌にも詠んだ山です。
このように、紫式部と越前は深い関わりがあり、彼女の人生と作品に大きな影響を与えた場所と言えるでしょう。
紫式部と刀伊の入寇の関り
一次史料において、紫式部が刀伊の入寇に直接関わったという記録はありません。刀伊の入寇は寛仁3年(1019年)に起こった歴史的な事件ですが、紫式部自身はこの事件に直接関わっていません。
大河ドラマ「光る君へ」では、紫式部が刀伊の入寇の際に大宰府に滞在し、事件に巻き込まれる様子が描かれています。
これは史実とは異なる創作ですが、ドラマを通して、当時の大宰府が置かれていた状況や、刀伊の入寇という歴史的事件を、視聴者にわかりやすく伝えるという意図があると考えられています。
ドラマでは、紫式部は、夫・藤原宣孝がかつて勤務していた大宰府に旅立ち、そこでかつて越前で愛した男性・周明と再会します。そして、刀伊の入寇の混乱の中で周明が亡くなるという展開になっています。
「刀伊の入寇」が紫式部の文学作品に影響を与えたという直接的な証拠はありません。 しかし、当時の社会不安や戦乱の影は、貴族社会を描いた「源氏物語」にも間接的に反映されている可能性はあります。
「源氏物語」には大宰府の役人と縁のある人物が複数登場することから、紫式部は大宰府という土地に関心を持っていたと考えられます。例えば、「夕顔」巻に登場する大弐の乳母は、夫または父が大宰大弐であったと考えられています。また、「花散里」巻から「澪標」巻、「少女」巻、「幻」巻に登場する筑紫の五節は、大宰大弐の娘です。
これらのことから、紫式部は大宰府という土地やそこに住む人々についてある程度の知識を持っていたと考えられます。