吉田響選手選手は全日本大学駅伝で区間新記録を樹立した、創価大学のスピードスター
1年生の時から箱根駅伝で活躍した、創価大学の頼れるエース吉田響選手選手の気になるプロフィールをまとめています。
吉田響選手(創価大)wiki|なぜ東海大から編入?
吉田響選手は東海大学2年次を終えた時点で、陸上部を退部し、大学も退学しています。そして、2023年4月に創価大学に3年次編入という形で競技を続けています。 これは、当時の吉田響選手にとって大きな決断だったと考えられます。
東海大学からの編入理由としては、以下の点が挙げられています。
- チームとの競技に対する考え方の違い: 吉田響選手は東海大学駅伝チームの方針と自身の考え方が合致しないと感じ始め、2年次の箱根駅伝ではメンバーから外れてしまいました。
- 健康面と精神面の問題: 吉田響選手は自身のSNSで、健康面と精神面が安定せず、退部・退学せざるを得ない状況だったとコメントしています。 では、練習のしすぎで思うように走れない時期が続いたことも語られています。
- 創価大学との縁: 吉田響選手は創価大学で競技を続けることができるようになったのは「縁」があったからだと述べています。によると、創価大学の前監督から直接誘いを受けたようです。
これらの情報から、吉田響選手は東海大学での活動に限界を感じ、心機一転、新たな環境で競技を続けることを決意したと考えられます。 創価大学は、吉田響選手を受け入れ、彼が競技に集中できる環境を提供したのでしょう。
また、では、吉田響選手が中学・高校時代から「山の神」に憧れており、指導者からも5区の適性があると評価されていたことが書かれています。 東海大学では2年目に箱根駅伝出場を逃したことから、自身の目標達成のためにも環境を変える必要があったのかもしれません。
創価大学への編入は、結果的に吉田響選手にとってプラスに働いているようです。 にあるように、創価大学ではチームメイトと切磋琢磨し、練習にも集中できている様子が伺えます。 出雲駅伝、全日本大学駅伝での区間賞獲得、自己ベスト記録の更新など、着実に成果を上げています。
吉田響選手にとって、創価大学への編入は、競技人生のターニングポイントになったと言えるでしょう。
吉田響選手wikiプロフィール
名前:吉田響選手
出身地:2002年8月20日
生年月日:静岡県御殿場市
年齢:22歳
身長:161cm
体重:46kg
血液型:ABO型
出身中学:中学校は御殿場市立原里中学校
出身高校:高校は東海大学付属静岡翔洋高等学校
出身大学: 東海大学体育学部→創価大学経済学部
吉田響選手の陸上経歴
吉田響選手選手は、小柄ながら力強い走りで、中学時代から注目を集めてきたランナーです。持ち味であるピッチ走法で、大学駅伝でも活躍しています。
中学時代
吉田響選手は、静岡県御殿場市立原里中学校時代から陸上競技を始めました。中学3年時には、第48回ジュニアオリンピック陸上競技大会A男子3000mで7位入賞、全国都道府県対抗男子駅伝競走大会6区(3km)で区間2位 と、全国レベルの大会で好成績を残しています。
特に、静岡県中学校駅伝競走大会では、6区を走り7人抜きを達成し、チームの入賞に貢献しました。この頃から、駅伝における勝負強さが発揮されていたことが分かります。
高校時代
高校は、静岡県の東海大学付属静岡翔洋高等学校に進学しました。高校時代は新型コロナウイルスの影響もあり、全国大会出場は叶いませんでしたが、静岡県高校総合体育大会には3年連続で出場し、5000mで2年生以降に好成績を残しています。
- 高校1年時:15分31秒50 16位
- 高校2年時:14分58秒23 3位
- 高校3年時:14分33秒76 2位
高校2年時には、全国都道府県対抗男子駅伝競走大会にも出場し、5区を走っています。高校時代は、トラック競技、駅伝競技ともに、全国レベルでの活躍は少なかったものの、大学入学後の活躍を考えると、着実に力をつけていた時期と言えるでしょう。
大学時代
東海大学時代
大学は、東海大学体育学部に進学しました。大学1年時には、第98回箱根駅伝で5区を任され、区間2位 という好成績を収めました。17位で襷を受けると、驚異の8人抜き を見せる快走で、チームを10位に押し上げました。この頃から、「山の神」候補として注目を集めるようになります。
しかし、2年時には箱根駅伝のメンバーから外れ、その後、陸上部を退部、大学も退学しています。これは、吉田響選手とチームの競技に対する考え方の違いや、吉田響選手の健康面・精神面の問題が原因とされています。
創価大学時代
2023年4月、創価大学経済学部に3年次編入という形で競技に復帰しました。創価大学では、持ち前の明るさと努力家精神で、チームメイトとも良好な関係を築き、練習にも集中できているようです。
編入後の成績は目覚ましく、出雲駅伝、全日本大学駅伝ともに5区で区間賞を獲得 し、チームに大きく貢献しています。特に、全日本大学駅伝では、従来の区間記録を29秒も更新する区間新記録 を樹立しました。
これらの活躍により、吉田響選手は再び「山の神」候補として注目を集めています。
吉田響選手の兄弟は
調査中
吉田響選手選手の家族構成について、兄弟に関する情報は分かっていません。
なお、同期には吉田凌(学法石川高校出身)がいますが、苗字がたまたま同じだけで親戚関係にあるわけではないようです。
まとめ:吉田響選手(創価大)wiki|兄弟は?なぜ東海大から編入?
吉田響選手選手は2021年、箱根駅伝5区の山登り区間で、一人の小柄なランナーが注目を集めました。 東海大学1年の吉田響選手選手です。
17位で襷を受けると、軽快なピッチ走法で、次々と前方のランナーを抜き去り、最終的には区間2位という素晴らしい成績を収めました。
しかし、その後、彼は苦悩の時期を過ごします。 2年時には、チームの方針との違いや、自身の体調不良もあり、箱根駅伝出場を逃してしまったのです。
そして、彼は大きな決断を下します。 東海大学を退学し、創価大学に編入したのです。 新しい環境で、彼は再び輝き始めます。
出雲駅伝、全日本大学駅伝の5区で区間賞を獲得し、箱根駅伝での「山の神」獲得へ向け、着実に前進しています。 彼は、逆境にも負けず、常に前を向き続ける、真のアスリートです。
■今後の展望
吉田響選手は、箱根駅伝で「山の神」になる ことを目標に掲げています。創価大学での活躍を見る限り、その目標達成も現実味を帯びてきています。
小柄ながら、力強いピッチ走法と、どんな困難にも立ち向かう不屈の精神を持つ吉田響選手。彼の今後の活躍に、大きな期待が寄せられています。